転轍器

古き良き時代の鉄道情景

D51482

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 見慣れたD5112〔延〕の隣りに現れたD51482はこの年の5月に熊本機関区から来た新参者であった。南延岡機関区のD51はオリジナルナンバーの廃車で他所からの転入車でメンバーチェンジが進んでいた。昭和47年夏の時点で9輌の廃車(79・93・341・880・949・1035・1081・1141・1142)と転入(46・176・222・361・482・541・567・714・1151)で入れ替り、この秋は奥羽・羽越の東北形を迎えることになる。 大分運転所 S47(1972)/8

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 D51482〔延〕はシンダエプロン以外は特ちょうの無い標準的なスタイルであった。キャブに目をやるとタブレットキャッチャーを避けたナンバープレートとひとつだけの札差しで何かバランスが良くない。この時点で「延」の区名札は付けられていない。 大分運転所 S47(1972)/8

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 給炭・給水を終えたD51482はD5112の前に連結された。じっとしていたD5112も煙をあげ始めた。帰路の下り貨物は重連で走るのだろうか。残念ながらこの後のことは見届けていないのでわからない。 大分運転所 S47(1972)/8

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 昭和45年10月の鹿児島電化開業以降、熊本機関区のD51-3輌が南延岡機関区へ転属している。当初は鹿児島電化で余剰となったD51が南延岡へ転属したものと思っていた。しかし日付を見るとD51176は電化と同時に移っているが、222は翌年の5月、482はさらに次の年の昭和47年5月であったので、その要因を探るべく熊本機関区D51の電化後の動きを追ってみた。
  電化後、本線用のD51はC60共々全廃と解釈していたが、昭和46年春の配置表で222・255・482・655が確認できD51の運用は残っていたと思われる。
  電化前、D51受持ちの八代・出水・鹿児島への運用が鹿児島機関区へ投入されたED76でD51の予備機を残さずに全て賄われたのだろうか。
  また昭和40年10月の熊本電化以降も鳥栖~熊本間を片道約10時間かけて、荒木・羽犬塚・瀬高・渡瀬・銀水・大牟田・荒尾・玉名・植木・上熊本の名だたる貨物ヤードの入換を行うD51運用が残っていた。昭和45年10月に重入換に特化したDE11-1000番台が熊本機関区に投入され、その予備機としてD51は必要であったようだ。
 電化後5輌残ったD51予備機は翌年2輌となり、47年3月で1輌、48年3月で解消され、何れもその後配備のDE10置換えによるものと思われる。それに呼応して222と482は移動となったが、南延岡側の需給関係も絡んでいたかもしれない。

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 熊本機関区へ9600を撮りに行った際、転車台脇で「不可動」標識が付けられたD51482〔熊〕と会っていた。まさかこの4ヶ月後に大分で再会するとは夢にも思わなかった。この時はボイラ代用の据付機関車のようであった。熊本機関区の装備の特ちょうである「架線注意」標識がたくさん付けられている。 熊本機関区 S47(1972)/3/29

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