
みなとみらい地区にある展示場での所用を終えて最寄り駅からこの電車に乗ったものと思われる。東横線の桜木町はこの辺だと思いながら地下に降りる。「元町・中華街」の行先は終点が2箇所あるのだろうかと不思議に思いながら渋谷行に乗車する。頭を整理し「横浜高速鉄道みなとみらい線」であることを理解し、あの時代とは変貌していることを自分に言い聞かせる。反町を過ぎた辺りで地上に出てひと安心、昔を思い返しながらしかし待てよ、目蒲線は目黒線に変貌し複々線区間もあって新たな時代を迎えていることを感じながら中目黒で下車する。この先、代官山を過ぎて山手線4線を跨ぐのだろうか。まだ渋谷は波状の屋根が続く頭端駅だったのだろうか。

同じホームから地下鉄日比谷線が出て行く。地下鉄のロゴマークは私が知っているのは「帝都高速度交通営団」のS字形で、その後「東京メトロ」となってマークも一新されていた。電車もあの懐かしいクジラ顔とは異なるメカジキ風ないで立ちになっていた。

先頭車を降りた位置から祐天寺方を振り返る。引上線が3線見える。あの頃も3線だったのだろうか。私が知っている民鉄と地下鉄相互乗入れ起終点駅の引上線は品川・代々木上原・笹塚とも2線だったように記憶している。中目黒も2線だったような記憶だが、「相互乗入れが決まった昭和38(1963)年頃、2面2線だった配線は、中央に日比谷線2線、両側に東横線2線の2面4線構造に、そして横浜寄りに日比谷線引上線3線が設けられた」とWEB版『東急100年史』に記されていた。上下線2線だけの駅と違って折返し運用のある中線や引上線のある駅は、電車駅風景として興味そそられる魅力があったものだ。 中目黒 H19(2007)/8/24

私が知っていた中目黒で出会った電車は、東急6000系・7000系、営団3000系、東武2000系の面々であった。グレイのステンレス車は独特なスタイルだったが、東武電車はキハ58に通じるものがあって好感を抱いていた。しかしある日、ベージュとオレンジの塗分けがクリーム1色になって、まるで下塗りのまま出場したのではないかと驚きであった。あのカラーリングはセイジクリームというスマートなネーミングだったことを今になって知る。昭和49(1974)年頃の淡い思い出だ。
NHKFM「音楽遊覧飛行」の鉄道シリーズで知った“スーパーベルズ”の『Departing from New Shibuya Terminal』が耳から離れない。急行停車駅の案内は、ついあの時代の光景が浮かんでくる。私の中では元町・中華街行が桜木町行に置換えられて聞こえてくる。