転轍器

古き良き時代の鉄道情景

金サワのオハ41

 大分のオハ41は写真に収められずに残念な思いを抱いていたところに線路端さんより金沢で記録されたオハ41の写真を提供いただいた。オハフ41とオハ41400番台・450番台の3バージョンで思わず目を見張る。

 昭和53(1978)年3月の配置表によると金沢運転所にはオハ41が9輛(401・402・403・404・405・406・451・452・453)、オハフ41が2輛(2・3)配置されていた。オハ41400番台はスロ52から、450番台はスロフ53から、オハフ41はスロフ51からの改造ということを書籍で調べて理解する。
 スロ51の緩急車版スロフ51は出入台片側だけで前後両サイドに便所と化粧室があった。オハフ41は前位側に出入台が新設され側窓が1個減り台車はTR23になったので1等車時代の印象は薄れている。 オハフ413〔金サワ〕

 出入台片側だけ、淡緑色と呼ばれる帯を巻いたグリーン車はやはり貫禄があった。出入台が両側となると種車の面影はあるものの格下げ感は否めない。出入台上部はいわゆる行灯と呼ばれた等級表示窓の名残りが残っている。 オハ41403〔金サワ〕

 アルミサッシの窓枠は車体色に塗られているのではないだろうか。出入台扉の窓は上段下降の2段窓になっている。 オハ41404〔金サワ〕

 七尾線は朝夕2往復の輸送力列車が運転されていた。金沢~七尾間121レ-124レ、金沢~和倉温泉間123レ-122レがそれでC58の時代から伝統的に続いていた。サボは「金沢-和倉温泉」が付けられているが、これは夕方の金沢発用で金沢到着時は「和倉温泉-金沢」が付けられ、入線後すぐに付替えられたものと思われる。 オハ41405〔金サワ〕

 和倉温泉発122レ到着時はこのサボが取付けられていたようで、左側発駅右側着駅の表示と思われる。尚、和倉駅は撮影時の直前に和倉温泉駅に改称されている。 オハ41453〔金サワ〕

 私が好きだったスロ53やスロ54のように見えてしまうこのクルマは元スロフ53であった。手前が増設された出入台で、そこを隠すとまさにスロ53に見える。 オハ41452〔金サワ〕

 七尾発金沢行124レは8輛編成であったことがわかる。編成後部に列車引上のEF7067〔敦二〕が連結されたところ。この時期北陸本線のEF70は常時直江津側のパンタグラフ上昇で運転されていたようだ。

 写真は全て線路端さん 金沢 S55(1980)/8/31

 ロコモデル切妻客車シリーズ リーフレットから

 ロコモデルのペーパーキットに入っていたリーフレットと思われる。偶然にもオハ41に改造されたスロフ53とスロフ51のイラストが並んでいる。金沢で撮られた写真から種車となった車輛が蘇って客車変遷の妙を味わうことができて線路端さんに感謝申しあげます。