転轍器

古き良き時代の鉄道情景

荷物列車のような旅客列車

 日豊本線の客車列車は50系化と電車化で、旧形客車はいよいよ最後の時を迎えようとしていた。大分発門司港行522列車は荷物列車の性格が強く電車化されずに客車列車のままで残っている貴重な存在であった。後部4輛の荷物車は門司で切り離されて東小倉から東上する山陽・東海道直通編成に組み入れられて大阪、汐留へ継走される。 522レ 日豊本線別府~東別府 S59(1984)/1/17

 「鉄道ファン258(昭和57年10月)号」に掲載された『荷物列車編成パターン』から後部4輛の形式と運用を追ってみた。

 牽引機ED7673〔大〕に続く旅客車1~4輛めの両端はスハフ42もしくはオハフ45、中2輛はオハ46かオハ47でいずれも門モコ車と思われる。

 荷物車1輛め スユニ61[門郵15]:編成表はスユニだけの表記だったので新系列スユニ50かとも思ったが、 画像拡大すると明らかに旧形車で、この時門司客貨車区にはスユニ61が5輛健在で、運用は門司港~南延岡であった。

 荷物車2・3輛め マニ50[南東荷5]+マニ44[南東荷203]:この2輛は汐留~大分運用車で下りは東小倉発宮崎行荷1031レに組まれ大分で開放される。上りは普通列車で門司まで行き、東小倉発汐留行荷物列車に門司で連結される。

 荷物車4輛め マニ36[大荷6]:大阪~大分間で運用され、下りは東小倉発大分行荷1039レで大分着。積み降ろしが終わると編成が解かれてその後普通列車に連結されて上阪する。

 荷物列車編成パターンを見ると下りと上りで向きを変えるだけの単純な例は稀で複雑怪奇に映る。特に日豊本線のような枝線のスジは東海道・山陽から門司・東小倉での途中解結が折返しや運用区間を一層複雑にする。

 昭和53年9月に撮影したスユニ61301〔門モシ〕。昭和59年1月時点で門司のスユニ61は9・14・16・44とこの301が稼働していた。もしかしたら301と再び会っていたのかもしれない。 日豊本線杵築~大神

 昭和55年9月に撮影したマニ362135〔大ミハ〕。運用番号[大荷6]。大分駅中線に置かれていたのでただ撮っただけ、大阪の車が来ている、と単に思っただけ。趣味誌に掲載された資料をよく観察すると、過去に何気に撮った写真とマッチすることがあるものだと我ながら感心している。