転轍器

古き良き時代の鉄道情景

旅客車を連結した荷物列車

 昭和59年2月改正を直前に控え、見納めとなる583系を撮りに出かけた際、予期せぬ荷物列車が現れたので写真に収めていた。機関車次位にオハフ50が付いて、この時は回送であろうと思っていた。以下マニ44+マニ50+ワキ8000+オユ14が続く。 荷1033レ 日豊本線日代 S59(1984)/1/28

 「鉄道ファン258(昭和57年10月)号」に掲載された『荷物列車編成パターン』から荷1031レ(→荷1033レ)は上図の編成であった。実見した列車はワキ8000が1輛減で編成図通り。驚いたのはオハフ50に付された運用番号で「分附4」はれっきとした営業車ということだ。改めて時刻表を確認し、佐伯から宮崎まで客扱いをすることがわかった。鹿児島本線は早朝・深夜の時間帯に下りは水俣~出水、上りは川内~八代間で客扱いをする荷物列車があり、日豊本線にも同様の荷物列車が存在したことを今になって認識する。

 ネガを振り返るとマニ442027〔名ナコ〕を撮ったコマにオハフ50が半分写っていた。それも日代で撮った2年半も前のことだ。しかも「宮崎ー佐伯」のサボが輝いている。この時は荷物車の写真を撮るのに必死でオハフ50の事は眼中になかったかもしれない。 オハフ50261〔分オイ〕 日豊本線大分~高城 S56(1981)/6

 3輛めマニ502025〔鹿カコ〕。

 6輛めオユ101003〔門モシ〕。

 荷1031レ編成図通り、1)オハフ50 2)マニ44 3)マニ50 4)ワキ8000 5)ワキ8000 6)オユ10 であった。オユ10の後は大分で切り離された7)マニ44 8)マニ36が続いていた。

 荷物列車に座席車をつないで一部区間で客扱いを行うことはいつから始まったのだろうか。手持ちの時刻表を辿ってみて驚いたのは何と昭和42年までさかのぼることができた。以下年代と列番、客扱い区間を時系列に示す。
  昭和42(1967)年9月 2043レ 佐伯~南延岡
  昭和43(1968)年10月 2043レ 佐伯~延岡
  昭和45(1970)年4月 2043レ 南延岡~宮崎
  昭和47(1972)年3月 1043レ 佐伯~延岡
  昭和48(1973)年4月 1043レ 南延岡~宮崎
  昭和49(1974)年4月
   ↓
  昭和55(1980)年3月 1043レ 佐伯~宮崎
  昭和56(1981)年12月 1031レ 佐伯~宮崎
  昭和58(1983)年11月 1033レ 佐伯~宮崎
 昭和42年頃から昭和59年2月改正前まで行われていたようで、客扱い区間は宮崎へと延びていった。座席車の連結はDF50時代は佐伯から行われ、50系が日豊本線に配備された昭和54年以降は配置車の集約で大分から連結されるようになったのではないかと考える。

 昭和48年3月に出会った大分出発直後の荷1043レ。下郡信号場をかすめている。DF50561〔大〕の次はスユニ61110〔門モシ〕が付いている。この時まさか佐伯でハザを連結するなど知る由もなかった。

 旧形客車ばかりの荷物列車。忘れかけたあの時代の鉄道情景を懐かしむ。