大分川左岸、深い谷あいの段丘上にきれいな弧を描く大バンクがある。国鉄時代終焉の大詰めを迎えた寒い日に、DE10の牽く上り列車をアウトカーブで待つ。25‰の上り勾配をゆっくりと登って来る。
国鉄時代最後の時刻改正となった昭和61(1986)年11月改正は、50系客車の本数と編成数で一部見直しがあったが、久大本線に変更はなく国鉄時代の終焉を迎えJRへ移行している。伝統の大分発豊後森行は50系4輛編成でやって来た。 630レ 久大本線湯平~庄内 S62(1987)/1
大分口の50系客車は大分~鳥栖、大分~豊後森、大分~由布院間で運転され、客車列車の運用は蒸機時代、旧形客車時代を通して連綿と続いていた。
伝統の豊後森発大分行は5輛編成で運転されていた。編成は前寄りから分オイ車オハフ50+オハ50+オハフ50、門モコ車オハフ50+オハフ50と続く。久大本線の50系は大分と鳥栖配置車で運用されていたが、鳥栖配置車は昭和61(1986)年3月に門司港運転区に集約されていた。 627レ 久大本線湯平~庄内 S62(1987)/1
小雪舞う大分川右岸の段丘から大分発鳥栖行を狙う。向之原から河岸段丘の谷がだんだんと深くなり、線路もそれに合せて上り勾配となる。鬼瀬手前はわずかな下りとなって駅へ進入する。 626レ 久大本線鬼瀬~向之原 S62(1987)/2/26
DE10+DE10+オハフ50+オハ50+オハフ50の短編成が奇岩のふもと鬼瀬に停車する。オハフからスチームが漏れているのが見える。並行する国道に小野屋方面行の路線バスも走っている。ふつうの日常が写っているだけではあるが、私としては国鉄時代の終焉という区切りを迎え、師走の前、霜月のような心境であった。 626レ 久大本線鬼瀬 S62(1987)/2/26