転轍器

古き良き時代の鉄道情景

回送3重連

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 午前8時台の大分駅東部貨物ヤードではD51日豊本線下りと9600の豊肥本線上り貨物列車がたて続けに発車する。南延岡行は8:45発、熊本行は9:04発で撮影の効率はとても良かった。その貨物列車の発車を撮るつもりで構内の隅に立っていたら思わぬ電気機関車の3重連と遭遇し、そちらがメインタイトルとなった。 6593レ 大分 S47(1972)/2/20

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 D51176〔延〕は昭和45年10月の鹿児島本線全線電化で熊本機関区から南延岡機関区へ転属してきた。ナンバープレートは熊本時代はキャブからはみ出して付けられていたが南延岡に来て側窓の下へ戻されたと思われる。リンゲルマン濃度計が誇らしく立っている。 大分 S47(1972)/2/20

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 強風に煙が煽られ、後追いを撮ろうと振り返ると何と、豊肥本線上に電機の3重連が迫って来ている。D51を撮ろうと構えたところにファインダーに電機が飛び込んできた一瞬のすれ違いであった。ED746〔大〕+ED7614〔大〕+ED7624〔大〕は下郡(信)からの回送3重連であった。 大分 S47(1972)/2/20

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 2輌のED76は①新大阪発大分行“べっぷ3号”、②中津発佐伯行1523レの牽引機で、①は大分終着の寝台車編成をそのまま大分電車区へ回送、②はDF50が牽いて来た佐伯発大分行1526レの編成を大分電車区へ回送したその戻りである(佐伯行は大分から牽引機はC57もしくはC58と交替する)。ED74はDE10が牽いて来た豊後森発大分行623レの編成を大分電車区へ回送した戻りで、各車大分電車区で機回しの後、下郡(信)から手をつないで大分に戻って来たものと思われる。大分電車区の電留線は客車列車の昼間疎開先に利用されていた。 ED746〔大〕+ED7614〔大〕+ED7624〔大〕 大分 S47(1972)/2/20

中津発佐伯行1523レの機関車交替と佐伯発大分行1526レの回送の模様はこちらを参照

べっぷ3号の回送の模様はこちらを参照

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 回送3重連が通り過ぎた後も下り貨物列車の長い列は続いていた。煙は相変わらず前方にたなびいている。6593レは鶴崎臼杵津久見・佐伯で貨物扱いを行い南延岡には16:44に到着する。 大分 S47(1972)/2/20