転轍器

古き良き時代の鉄道情景

東別府駅 昭和60年

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 日豊本線の開通年代を見ると、明治28年4月行橋(九州鉄道)、明治30年9月柳ヶ浦(豊州鉄道)、明治40年7月に国有化の後、明治42年12月宇佐、明治43年12月中山香、明治44年3月日出、明治44年7月別府、明治44年11月大分に達している。大分以南は大正12年12月大分・宮崎県境がつながって、小倉~吉松間日豊本線が全通した。東別府駅は大分開通時にでき、すでに開業74年になる(昭和60年時点)。開業時の駅舎は、蒸気機関車時代の面影をそのまま今に伝えているように見える。蒸気機関車時代から変わったところは、電化時のプラットホームの嵩上げと架線柱の建立、信号梃子扱所の閉鎖であろうか。改めて細部を観察すると、壁面の行灯式駅名標の設置時期、改札口が木柵からパイプ式に変わった時期、またホーム間平面横断通路の廃止時期はいつ頃なのか気になってきた。 日豊本線東別府 S60(1985)/2/25

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 撮影時の東別府駅は掲載の普通列車にL特急が19本、寝台特急が2本、豊肥本線久大本線の急行が6本、それに荷物・貨物列車が加わってかなりの列車密度があった。客車・気動車・電車が走り、列車種別も車種も豊富で国鉄時代最後の輝きを発していた。客車列車は門司港~大分間で2往復が健在、電車も北は門司港・小倉・中津、南は南延岡・佐伯と長距離運用も多く設定されていた。下り2744Dは“火の山3号”、2561Dは“由布3号”の折返しと思われる。上り2554Dは熊本行“火の山6号”の送込み、2625Dは博多発“由布5号”の急行くずれである。別府~大分間の列車番号は豊肥・久大乗入れの関係で奇数・偶数混在であった。

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 夕方の豊肥本線乗入れ豊後竹田気動車列車は三角発“火の山3号”の折返し運用と思われる。この時期はキハ65をはさむ両端キハ58の3輛編成で運用されていたが上り方にキハ40が連結されていた。後続のL特急“にちりん”が迫っているので早々の客扱いで出発して行った。 亀川発豊後竹田行2744D  日豊本線東別府 S60(1985)/2/25

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 後追いのファインダーから、ここは直流区間?と思わせるような光景に遭遇した。高速で過ぎ去る車高の低い最後尾は上越線“とき”に使われていた181系改造のクハ481-501であった。九州島内特急群の大増発と編成短縮化で先頭車が必要となり、役目を終えたクハ180・クハ181を改造して再生した異色の車である。 5029M“にちりん19号” 日豊本線東別府 S60(1985)/2/25

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 見納めとなるお椀形ヘッドマークの“富士”を待つのに東別府を訪れた。下垂交差パンタのED7686は大分運転所配置のED76ラストナンバーで昭和50年3月に新製配備されている。  8レ“富士” 日豊本線東別府 S60(1985)/2/25