転轍器

古き良き時代の鉄道情景

両郡橋 大分交通別大線

 「〇〇橋」のような橋が付く名前の駅名や電停名を聞くと、その土地の成り立ちや地理、歴史が込められているような不思議な魅力を感じる。東京は浅草橋、水道橋、飯田橋等、大阪では淀屋橋、心斎橋、芦原橋等が浮かぶ。九州での軌道線で巡ると北九州ー鎮西橋、旦過橋、福岡ー千鳥橋、室見橋、長崎ーめがね橋、思案橋、熊本ー田崎橋、洗馬橋、祇園橋、神水橋、鹿児島ー涙橋、高見橋、と多彩で中には由来に辿り着けそうなものも多々ある。別大線の両郡橋はシーサイドコースの入口、複線と単線の結節点の重要な停留所であった。大分市別府市の境に位置し、かつては大分郡速見郡と呼ばれ両方の郡のつなぎ目からこの名前が付いたのではないかと想像する。

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 湯煙たなびく別府の山なみを背景に亀川駅前行はここから別府市街地へと入る。両郡橋は運転関係と待合所の建屋が置かれ電照式の電停名標識が備えられた重要中継点といえる。ホームは渡り板をはさんで交互に配置されていた。 163 両郡橋 S47(1972)/4/4

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 運転掛からタブレットを受け取った大分駅前行はここから単線区間を進む。別府市街、大分市街を結ぶ海岸コースは都市間電車インターアーバンの本領を発揮する区間である。 161 両郡橋 S47(1972)/4/4

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 運転掛が安全を確認、161号両郡橋発車。山側は日豊本線の複線が見える。国道を挟んだ両側に建つ架線支えの支柱がリズムよく並んでいる。国道の内側車線をリヤカーを引いた自転車が走る光景はのどかと言う他ない。

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 振り返ると線路は単線になって日豊本線下り線と仲良く並んで海岸線沿いをなぞりながら走る。国鉄車輌との並走もたびたびあったにちがいない。日豊本線は小倉起点123キロポストが建っている。 161 別院前~両郡橋 S47(1972)/4/4

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 別院前から両郡橋にかけてのこの区間は別府湾のなかで山が一気に海にせり出した地形で、水深もいちばん深い所といわれている。地形に逆らわないで道路も軌道も鉄道も従っているのがわかる。 204 別院前~両郡橋 S47(1972)/4/4

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 両郡橋を出るときれいな別府の山なみと街なみを車窓に快走する。前面展望はマリーンパレスが迫り高崎山自然動物園へ渡る歩道橋が見えてくるはずである。遠くはかすかに田ノ浦の松や仏崎の岬も遠望できたかもしれない。 115 別院前~両郡橋 S47(1972)/4/4

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 この海岸線区間は明治33年5月に開通している。日豊本線別府~大分間の開通は明治44年11月なので、別大電車は国鉄線よりも11年も早く走り始めたことになる。日豊本線の路盤の石積みが時代を感じさせられる。 164 別院前~両郡橋 S47(1972)/4/4

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 両郡橋電停上、日豊本線上り線を三角発別府行“火の山2号”7連が行く。日豊本線の上下線は小川と道路を越える短い橋りょうが架かっている。下り線のピーアは古い時代を物語る煉瓦積、線増の際の上り線はコンクリート製で橋りょう名は「鳴川」のようだ。桜の季節、山の斜面に満開の桜が連なっている。 日豊本線東別府~西大分 S47(1972)/4/4

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 423系試運転電車が下る。 日豊本線東別府~西大分 S47(1972)/4/4

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 長崎発大分行“いなさ2号”が長い編成をくねらせて別府湾岸を駆ける。国鉄線と別大電車の共演を期待したがインターアーバンは現れてくれない。大分交通の年代物の架線柱が国鉄の近代的なポールと対照的に目に映る。 日豊本線東別府~西大分 S47(1972)/4/4

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 別大線の軌道線と日豊本線下り線が並んで海岸線を走る。国道は拡幅されているものの車の増加とともに軌道線別大線は邪魔者扱いされるようになったのは時代の流れとはいえ残念でならない。 S47(1972)/4/4

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 10年後の両郡橋界隈。電停のあった場所は同名のバス停が置かれ信号機が設置されている。国道の交差点標識は「両郡橋」を掲げ、同時に大分市別府市の境界を示す「別府市」の標識も見える。電停位置のちょうど真ん中に市堺があり、それはかつて郡堺であったことから電停名「両郡橋」は改めてうなずくことができる。国道から山側の集落へ入る小路と小川に架かる短い橋りょうも確認できる。ED76の牽く長い貨物列車が接近している。 S56(1981)/12/6