別府湾の濃霧が漂う築堤に機影を見せたのは、貨物列車に客車1輛をつないだ、まるで準混合列車のような編成であった。当時日豊本線直見~直川間ひと駅だけ、貨物列車に客車1輛をつないだ営業列車が設定されていた(4592レ)。これは回送であるがその光景を彷彿させてくれた。D51361〔延〕は昭和46年10月に鳥栖から移動して日豊本線の顔となり、南宮崎電化の後は渡道し夕張線や室蘭本線で稼働したものと思われる。 1592レ 日豊本線大分~高城 S47(1972)/5/3
D51361〔延〕の次位はオハニ61で、次に連なるタンク車は「味の素株式会社」のタム5000が写っていた。タム5000は常備駅は読めないが、ナンバーは6067と6086が読め、「塩酸及びアミノ酸専用」の積荷標記も確認できた。 1592レ 日豊本線大分~高城 S47(1972)/5/3
長い編成は辺りに鉄橋の通過音を轟かせて進む。最後尾はヨ6000で締めくくっていた。