転轍器

古き良き時代の鉄道情景

暁の宗太郎峠 551レ

 日豊本線の難所、宗太郎峠をめざしたのはすでに電化のポールが建ってしまった昭和47年の暮れであった。501レ急行“みやざき”を佐伯で下車。宗太郎峠をめざす下り一番列車列車はD51牽引の客車2輛とその後に貨車を従えた、その名も混1553レを名乗る混合列車で、ほんとうにここは本線と呼ばれる幹線筋なのかと疑わざるをえなかった。それでも大分交通耶馬渓線以来数年ぶりに乗る混合列車にいたく感動した。日豊本線の旅客でD51牽引というのも初めてであったし、客車2輛だけの定期列車も初めての経験、しかもその後に貨車が続くという幻想の世界で汽車に乗るような思いであった。
 スチームで暖かな客車を重岡で下車。サミットの第一大原トンネルめざしてひたすら車の通らない国道10号線を歩く。たどり着いたトンネル入口の高台から迎え撃つは551レと571レの2本。寒さに震えながら遠くの暗闇から煙が上がり始めるのを待つ。

 辺りが白み始めた頃、川原木信号場方から白い煙が山裾を這い始めた。機関車の黄色い前燈が確認できるまでかなりの時間がかかった。

 姿を現すまでとても長く感じたが、機影が確認できるやいなや猛煙とドレンを巻き上げすごい勢いで迫って来た。臨場感を味わう余裕もなくファインダーにくらいつく。

 速い。とにかく速い。怒り狂ったように向かって来る。無我夢中でシャッターを押し、フィルム巻上げレバーを必死に操る。

 やっとの思いで第一大原トンネルの上にたどり着いた時は辺りはまだ暗く列車が写るか自信がなかった。俯瞰では露出が足りず、白み始めた空を入れなければ無理と思い道なき山の斜面を滑り下りてポジションを確保した。 551レはヘッドライトを皓皓と照らし道床を黄色くさせながら真っ白いドレンと共にトンネルに消え、まさに墨絵の世界に黄色と白の帯が流れる、そんな一瞬の出来事であった。  日豊本線川原木(信)~重岡 S47(1972)/12/29

 露出不足の551レの画像をブラウザで拡大してみた。機関車はドームの後ろに重油タンクが見えたので人吉から来たD511151〔延〕であったと思われる。宗太郎峠から南延岡機関区に立ち寄った際、石炭置場の横で憩うD511151〔延〕と会っていた。 南延岡機関区 S47(1972)/12/29