転轍器

古き良き時代の鉄道情景

直方平野 無情な露出不足

 複々線戸畑方面第1上り線を行く長い貨物列車を撮る。機関車のナンバーは読み取れなかったがナメクジだったのでD5142〔若〕と思われる。石炭輸送全盛期は第1上り線が葛葉・西八幡・戸畑方面へ、そして第2上り線が若松の操車場へと2筋の大動脈に長いセラ編成が闊歩していた。 660レ 筑豊本線折尾~中間 S47(1972)/1/6

 突然現れたデフ無し、ランボード一直線の29670〔若〕に反応する。

 若松と東折尾を中間経由で行き来する小運転列車と思われる。ワフとセフの緩急車だけで、間に連結されていたであろう貨車は切り離されて基地の若松へ戻るところに遭遇する。ロセフ281の黄帯は車掌室の窓部分だけを避けて妻面まで巻かれているのがわかる。 592レ 筑豊本線折尾~中間 S47(1972)/1/6

 京都発長崎・佐世保行“かもめ”は小倉で編成が分割され、佐世保編成は筑豊本線へ足を踏み入れる。長崎編成は食堂車が入った7輛、佐世保編成は6輛のはずであるが、写真は7輛編成が写っている。増結車が組込まれていたのだろうか。 2003D“かもめ” 筑豊本線折尾~中間 S47(1972)/1/6

 若松発原田行733レはC55期待で待つも、残念ながらかまぼこドームのD511155〔若〕が牽いて来た。遠賀川橋梁の手前、後方に中鶴炭鉱のボタ山が写る美しいカーブは筑豊本線の撮影名所にもかかわらず冴えない記録となった。 筑豊本線中間~筑前垣生 S47(1972)/1/6

 D6033〔直〕はパイプ煙突でデフステイは独特な曲がり方をしていた。直方行の空の石炭車を従えている。 653レ  筑豊本線中間~筑前垣生 S47(1972)/1/6

 伊田線の複線が渡る遠賀川の鉄橋は「嘉麻川橋梁」と呼ばれている。伊田線で石炭編成を見たのはこの時くらいで、その後の訪問ではセメント・石灰石編成ばかりであったように思う。 伊田線直方~中泉 S46(1971)/8/10

 昭和46(1971)年夏、網の目のように張り巡らされた筑豊の支線―室木・香月・宮田・伊田・田川・上山田・日田彦山─各線はC11や8620の牽く客車列車が健在であった。

 C11162〔行〕が直方発伊田行233レを牽く。黒く潰れた写真にオハフ33361と「伊田─直方」の白文字が浮きたって見える。 直方西部 S46(1971)/8/10

 D6071〔直〕の牽く飯塚発若松行736レ。D6071とは昭和44(1969)年10月に大分で別れて以来、約2年ぶりの再会であった。うれしい再会も無情の露出不足で残念でならない。 直方西部 S46(1971)/8/10

 大分運転所から直方機関区への転属票。 S44(1969)/10/4 大分運転所

 原田発若松行738レの先頭に立つのは元久大本線の罐、D6061〔直〕であった。昭和45(1970)年10月に大分から直方へ転属しているので、1年3ヶ月ぶりの再会である。大分組との劇的な再会はどうしてこうも露出不足の写真になるのであろうか。感激のあまり、絞り目盛りを余計に絞り込んだのかもしれない。 折尾 S47(1972)/1/6