転轍器

古き良き時代の鉄道情景

香月線

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 大辻炭鉱の石炭積出しのため香月線は明治41年7月、室木線と同時期に開通している。全盛期は中間~新手間に3線が敷かれ運炭列車が往来してと聞く。かつての線路配線図を見ると2線は中間下り方から分岐し、1線は筑豊本線の複線をアンダークロスして筑豊本線上り線側に合流し、それだけで膨大な石炭輸送が行われていたのは想像に難くない。炭鉱閉山後の香月線は宅地開発の進む風景の中、全盛期の面影を感じるのは不可能であった。 折尾発香月行125レ 香月線中間~新手 S48(1973)/3/31

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 幼少期に香月駅近くに住んでいたという人から石炭輸送全盛期の様子を聞いたことがある。汽車が好きだったその人は「駅から延びた引込線は朝から晩まで、いや夜通しかもしれない、ひっきりなしに石炭車が往来しそれは恐ろしい光景だった。汽車見物は変人のレッテルを貼られるので禁止されていた…」と生々しい証言を聞いて衝撃を受けた。激増の石炭輸送が最優先の時代ならではの逸話と思う。
 時代の大きなうねりが押し寄せて香月線の蒸気機関車が風前の灯となった頃、足を踏み入れている。38634〔若〕が香月折返し若松行を牽いて現れた。 124レ 香月線中間~新手 S48(16973)/3/31

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 88622〔若〕が香月発若松行124レを牽いて複々線を行く。折尾折返しの125レは香月7時33分着、すぐさま機回しを行い7時46分香月を出る。中間8時05分発、折尾で15分休んで若松には8時42分に帰ってくる。 筑豊本線折尾~中間 S47(1972)/8/11

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 きれいなオハ35とオハフ33の4輛編成。 筑豊本線折尾~中間 S47(1972)/8/11

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 若松機関区8620の香月線仕業は、機関区の出入りで若松~香月1、中間~香月1、折尾~香月1の朝3往復が設定されていた。125レは3往復めに入る折尾折返しで、折尾での機回しはあわただしく行われるものと思われる。逆行88622〔若〕が折尾発香月行を牽いて複々線を行く。  筑豊本線折尾~中間 S47(1972)/8/11