転轍器

古き良き時代の鉄道情景

田川線今川橋梁

 何度か繰り返した筑豊汽車見物で、筑豊への入口は折尾・原田・城野と行橋であった。どこも胸のときめく筑豊へのプロローグであったが、行橋はことさら思いのつのる憧れの地への入口であった。日豊本線門司港行夜行が新田原を過ぎてしばらくすると、進行左側から田川線が弧を描いたようなカーブで寄り添ってきて日豊本線といっしょに今川を渡り行橋構内へと入る。あのきれいなカーブの先に憧れの地が開けているという思いは幾度通っても変わらない。昭和48年春は行橋下車の後今川橋梁まで歩き、田川線の分岐点“憧れの地の入口”に立った。いつもと変わらずキュウロクが黄帯を巻いたホキ・セキ・セラの先頭で頑張っていた。

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 39638〔行〕が苅田港からの返空編成を牽いて今川橋梁を渡る。田川線では車体が黄土色に汚れたセキ6000やホキ4200をよく見かけた。船尾からの石灰石輸送であるが、同じセメント原料の粘土も運んでいたのかもしれない。 田川線行橋~豊津 S48(1973)/3/29

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 カーブの先から苅田港へ向かう積車編成が現れた。継足しの長い化粧煙突の39639〔行〕はデフの前方支柱が折れ曲がった独特の形をしている。編成はセフの次にセキ6000が続き高さが揃っていた。苅田港は若松・戸畑・門司に続いて第4の石炭積出港として整備され、田川線日豊本線経由で石炭輸送が行われた。そのため日豊本線小波瀬~行橋間はいち早く昭和31年に複線化されている。  田川線行橋~豊津 S48(1973)/3/29

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 行橋発後藤寺行キハ45+キハ10+キハ45の3輌編成が行く。田川線の旅客列車は昭和46年に訪れた時は行橋~添田間でかなりの客車列車が健在であったが2年後は1往復を残して気動車化されていた。今川左岸は行橋構内の入口で、日豊本線田川線の上り場内信号機が林立する躍動の鉄道情景が展開していた。 429D  田川線行橋~豊津 S48(1973)/3/29