転轍器

古き良き時代の鉄道情景

富山・魚津で会った汽車・電車

 北陸本線富山駅富山地方鉄道新富山へ行くのに立寄った時、魚津駅富山地方鉄道本線から北陸本線に乗換える時、それぞれわずかな時間に偶然出会った列車を撮ったものである。毎度後になって思うことであるが、車輛だけにしかカメラを向けていないので駅構内の様子等は全く記憶に残っていない。また富山駅北側に位置する富山港線ホームは離れていたからか旧形国電の写真は無く残念であった。

 富山駅第2ホームの欠き取りがある高岡寄りから3番線の“雷鳥”を見る。ネガの順番から運転日指定の“雷鳥53号”大阪行と思われる。クハ481の貫通扉の無い顔は300番台であろうか。後方の跨線橋はホームへのアプローチがわからない。片側エレベーターでもう一方は階段だろうか。高い塔はテルハのようにも見える。 8046M“雷鳥53号” 富山 S51(1976)/9/15

 大阪と富山(季節指定で糸魚川まで)を結ぶ急行“立山”は3往復が設定されていて、うち2往復は富山地方鉄道宇奈月温泉立山に475・457系付属編成が乗入れていた。糸魚川からの“立山2号”が富山駅1番線に入ってきたところで、停車後は富山地鉄からの渡り線を宇奈月温泉からの3輛が本線に出て併結作業が始まるはずである。 糸魚川から3424M富山から504M“立山2号” 富山 S51(1976)/9/15

 欠き取りのホームは西3番の標示があり城端線高山本線の折返し用かもしれない。EF8196〔富二〕の牽く客車列車は直江津米原行の長距離(343.9Km)鈍行だ。 242レ 富山 S51(1976)/9/15

 北陸本線福井~富山間は475系・457系の快速電車が多く設定されていた。 3350M 富山 S51(1976)/9/15

 3番ホームから米原行が出たすぐ後に2番ホームから名古屋行の、これも高山本線を走破して岐阜からは東海道本線を走る長距離(256.1Km)気動車列車だ。慌てて手ブレになってしまったが、先頭は美濃太田機関区のキユニ2610〔名ミオ〕であった。 富山 S51(1976)/9/15

 冷房装置の無い屋根が高いオユ10がぽつんと置かれていた。オユ10の前位側の貫通扉は窓が無いらしい。 オユ102050〔大ミハ〕 富山 S51(1976)/9/15

 富山客車区は波動輸送用に12系が13輛配置されていた。オハフ13はディーゼル発電機を持たない緩急車。 オハフ132〔金トヤ〕 富山 S51(1976)/9/15

 「福井行」のサボが掛けられたきれいなオハフ33を撮っていた。出入り扉は古いタイプで窓はサッシ化、洗面所窓はHゴム支持に改装されている。台車はコロ軸受のTR23もしくはTR34の何れか、違いはわからない。 オハフ332420〔新ナオ〕 富山 S51(1976)/9/15

 機関車の次に鋼板屋根のマニ36244〔北スミ〕が写っている。跨線橋は昇降階段は向こう側にあるのだろうか。構造がよくわからない。 富山 S51(1976)/9/15

 魅力的な形の国鉄コンテナはH10形式、5トン積塩化ビニル樹脂専用ホッパコンテナであった。JNRマークを始めとして国鉄書体のレタリングが印象に残る。 H10-382 形式H-10 塩化ビニル樹脂専用 富山 S51(1976)/9/15

 EF814〔富二〕牽引の上り貨物列車が魚津3番線へ入って来た。昭和50年3月時点で富山第二機関区のEF81は1~39、79~81、95~96の計44輛が配置されていた。 魚津 S51(1976)/9/15

 すぐ次にやって来た下り貨物列車はEF70の牽引で慌ててカメラを構える。前パンタで通過して行った。北陸本線上で機関車牽引列車と何度か対面したがEF81ばかりで結局EF70とはこれが唯一度の出会いであった。初期のひとつ目EF70に会えなかったのが悔やまれる。 EF7061〔敦二〕 魚津 S51(1976)/9/15

 上り客車列車のしんがりはナハフ10もしくはナハフ11が付いていた。ブルーの車体とベージュ色の貫通扉の対比がよく目立つ。端梁のホースやジャンパ栓受けの様子もよくわかる。端面の窓は前位側にはないようだ。信号機の進路標記が一部見えて「北」は北陸本線を、「山」は高山本線を現しているのだろう。 富山 S51(1976)/9/15