私が汽車の写真を撮りに大分駅へ通った昭和44年頃は、第4ホーム(6・7番)から南口にかけて長い跨線橋が健在であった。本屋側ホームから第4ホームまでは地下道が整備されて、駅表側は近代的な、「裏駅」と呼ばれていた南側は蒸機時代然とした印象があった。 跨…
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