転轍器

古き良き時代の鉄道情景

南阿蘇鉄道

 昭和55年に成立した国鉄再建法は、将来熊本県高森町と宮崎県高千穂町を結ぶ予定であった高森線と高千穂線を廃止対象線とし、新たなローカル新線の中止も決定された。幸い両線とも廃止は免れ第3セクターに移管、昭和61年4月に南阿蘇鉄道として、平成元年4月末に高千穂鉄道として再スタートした。

 第1白川橋梁を渡る「立野ー高森」を掲出したMT2000形レールバス“りんどう”号。 立野~長陽 S62(1987)/9/16

 第1白川橋梁のことは手持ち資料から一部抜粋する。
●「橋梁の長さ167.8m、高さ61m(川底から軌条面まで)、国鉄最初のバランスト・アーチ橋として設計され、大正15年10月に着工、昭和2年2月に竣工した。上から見ると中央部に向かって弦なりにすぼまった形をしている。」(国鉄一世紀の歩み九州編・九州の鉄道100年記念誌鉄輪の轟き)
●「製作ニ関スル注意:1、本橋梁ハ主トシテ大正十四年三月達第一六八号鋼鉄道橋製作示方書ニヨリ製作ス/10、Erection用Driftpinハ製作工場ニテ1500本ヲ供給スルモノトス」(とれいん109号)

 とれいん109号の特集記事「鉄橋のあるレイアウトのために」に掲載された「高森線第1白川橋梁」の組立図を見て、上から見た図の描写の意味が理解できた。「製作ニ関スル注意」事項が1~13まで書かれているが、判読できたのは上記2点である(記事に図の説明は一切触れられていない)。