転轍器

古き良き時代の鉄道情景

北海道鉄道記念館

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 手宮貨物駅の山側にひっそりと3線の扇形庫が建っていた。当時、歴史的価値のあるものとの認識はあまり持ち合せていなかったように思う。庫の中の古典機にも興味は湧かず儀礼的に撮ったネガだけが残っていた。 北海道鉄道記念館 S50(1975)/9/14

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 旧手宮機関庫の説明標によると、明治18年幌内鉄道の機関庫として建設され、明治39年国有化されたとのこと。国鉄の路線名は手宮線となりその後小樽築港機関区手宮支区となった模様。石炭輸送で栄えた手宮線の栄枯盛衰を垣間見たようだ。

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 準鉄道記念物第3号指定 大勝号機関車
  明治27(1894)年12月北海道炭砿鉄道手宮工場で起工し、翌28年9月15日に完成した日本人製作の現存する最古の機関車です。その完成した時期が日清戦争に勝利を博した折であったので“大勝号”と命名されました。明治39(1906)年10月に北海道炭砿鉄道は国有となり、この機関車も7150形、番号7150号と改めました。その後北海道炭砿汽船株式会社に譲渡され、さらに同社夕張製作所で使用されたが、戦後同社から国鉄に寄贈され国鉄苗穂工場で復元の上、昭和29年11月から39年3月まで北海道大学附属博物館に陳列、その後苗穂工場で再び修復の上現在に至ったものであります。 日本国有鉄道北海道総局 昭和39年10月14日 (説明板から)

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 準鉄道記念物第1号指定 しづか号機関車
  北海道における鉄道のはじまりの幌内鉄道時代(明治13(1880)年~明治22(1889)年)に義経(1号)、弁慶(2号)の機関車についで米国から6番目に輸入された機関車です。手宮~幌内間に使用されました。その後北海道炭砿鉄道(明治(1889)22年)から国有鉄道所属(明治39(1906)年)となり、さらに室蘭の日本製綱所(大正6(1917)年)に移籍しましたが、昭和27(1952)年同所から国有鉄道に寄贈され苗穂工場で復元の上現在に至ったものであります。 日本国有鉄道北海道総局 昭和39年10月14日 (説明板から)

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 準鉄道記念物第4号指定 キ601号回転雪かき車
  鉄道線路の積雪が1m以上になると、両側が雪の壁になって、ラッセル車では除雪が困難になります。そこでロータリー車の登場となるわけですが、この回転雪かき車はアメリカン・ロコモティブ会社で大正12(1923)年7月に2輛製造されたものの一つで、同年12月、日本で組み立てられ信越線をはじめ東北、裏日本の豪雪地帯で活躍しました。これは日本における最初の回転雪かき車として、除雪作業の機械に大きな足跡を残し、またこれをモデルにして国産化が行われ、国鉄苗穂工場で同形のものが製造されました。ここに陳列してあるのは雪かき車の部分で実際に活動するときはこれに炭水車をつけました。 日本国有鉄道北海道総局 昭和39年10月14日 (説明板から)