転轍器

古き良き時代の鉄道情景

大崎支線を行く

 大崎支線という名称はいつ頃知ったのかはっきりとした記憶は無い。とても都内とは思えないのどかな風景の中、気になっていた貨物線沿いを歩いていた。鉄道用地と道路を区切っているのは見事な枕木柵で、古き良き鉄道情景が未だ健在であった。さっそく黒い貨物列車がやって来た。

 機関車はEF1029〔東〕であった。この当時、山手貨物線品鶴貨物線を通る機関車は新鶴見機関区のEF10・12・13・15を中心に東京機関区のEF10・15、八王子機関区のEF13・15、高崎第ニ機関区のEF15、宇都宮運転所のEF651000番台が使われていた。

 東海道・山陽筋からは浜松・稲沢第二・米原・吹田第二・岡山・広島のEF60・EF65が姿を見せていたとのこと。武蔵野線は府中本町以南はまだ未開業の時、東海道対東北方面の貨物列車が武蔵野線経由になったのは昭和51(1976)年3月以降で、都心通過の貨物列車は旺盛であったと思われる。 大崎支線大崎~蛇窪(信) S50(1975)/5/30

 新鶴見方からEF651000番台の牽く貨物列車がやって来た。後方に見える丸いタワー状の構造物は何だろうか。右の道路の信号機に付いた地名板からこの辺りは「西品川一丁目」のようだ。線路手前の標識は曲線標だろうか。「C=50S=15」や「TCL=40/CCL=250」の標記が見える。

 機関車は宇都宮のEF651050だ。田端(操)からは東北貨物線に進路をとるのだろう。 大崎支線大崎~蛇窪(信) S50(1975)/5/30

 ここは一般貨物の他にコンテナやタンカー編成、そして自動車専用列車も通る大動脈であった。宇都宮のEF651033が赤いク5000の列を牽いて来た。自動車は何処で積まれて何処へ向かっているのか知る由もなかった。 大崎支線大崎~蛇窪(信) S50(1975)/5/30

 EF1314〔八〕率いるタンカー編成は新宿から中央本線へ入るのかもしれない。 大崎支線大崎~蛇窪(信) S50(1975)/5/30

 何気に撮った1枚に大崎支線分岐手前、蛇窪信号場の場内信号機が写っていた。2面の現示板に左が品鶴貨物線を現す「品鶴」、右の一段低い位置の現示板が右分岐する大崎支線で「大支」と標記されている。 蛇窪(信) S49(1974)/10/24

 渋谷や新宿の貨物線で停車している長い貨物列車編成や浜松町海側の貨物引上線で休むEH10やEF66の光景は折々に見ていた。それらの貨物列車は皆ここを通り、新宿・田端・大宮方面と品川・汐留方面行を分ける平面交差が蛇窪信号場であった。 品鶴貨物線 S49(1974)/10/24

 スノープラウが付いたEF1549と会う。昭和48(1973)年の配置表では高崎第二、昭和50(1970)年の配置表では東新潟と記載されていた。撮影後に高崎第二から東新潟へ転属したものと思われる。 EF1549〔高二〕 品鶴貨物線 S49(1974)/10/24

 東海道山陽本線をコキ・ワキ・レサの特急編成を牽いて100Km/h運転を行うのが下関運転所のEF66であった。新幹線高架の下で撮影場所を探している時に突如現れたブルーの機関車に反応する。