転轍器

古き良き時代の鉄道情景

長野電鉄

 平成10年代、出張で複数の会社所属の数名からなる一行に加わり2泊3日で長野県を縦断した。行きは軽井沢まで、帰りは長野から東京まで、まだ「長野行新幹線」と呼称されていた“あさま”で往復した。団体行動なので鉄道風景にカメラを向けることは遠慮し、残念ながら写真には何も残せなかった。

 軽井沢も佐久平も地平の新幹線駅で驚きであった。かつての信越本線は「しなの鉄道」と名前を替え塗色のちがう165系が走っていた。地元職員の迎えの車でまだ片側1車線の上信越自動車道を北上する。この地の鉄道模様は趣味誌で少し頭に入っていたので、信越本線は屋代で長野電鉄と連絡し国鉄が乗入れていたこと、上田交通は丸窓電車がいたこと等を景色を眺めながら思いを巡らせる。八ヶ岳連峰を望み、篠ノ井が近づくと善光寺平を背景にした姨捨D51を思い浮かべる。高速道路からスイッチバック篠ノ井線桑ノ原信号場が見えないか背伸びしてみる。今宵の宿は湯田中温泉長野電鉄湯田中駅へ続く通りは温泉案内のアーチがあって撮りに行きたい気持ちはあったが宴会で撃沈する。

 視察や打合せ場所は信越本線は牟礼駅近く、長野電鉄信州中野や須坂駅近くにあり、わずかな隙間から電車が見えた。「OSカー」と呼ばれた特急電車がいたような気がする。

 長野県といえば信州そば。訪問先では必ずざるそばとビールで歓待を受け、長野のそば文化を体感した。また湯田中渋温泉郷に広がる志賀高原はりんごの名産地で、南国で並ぶ志賀高原のふじりんごはブランド品となる。

 いつか呑み鉄本線日本旅で長野県の鉄道に触れてみたい。