転轍器

古き良き時代の鉄道情景

日没前の中判田交換風景

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 半径360mの左曲線上に設けられた中判田駅に下り列車が到着した。駅本屋は画面右、跨線橋の脇にあり、かつてはカーブしたホームの先端のスロープから上り線と貨物側線を平面横断通路で渡っていた。上り線外側の側線は蒸機時代の貨物1番から3番線の名残りで貨物輸送全盛期は米と坑木が出荷されていた。豊肥本線の建設過程で大分~中判田間11.7㎞の開通は犬飼軽便線時代の大正3年4月であった。曲線上に駅が設置されたのは計画では直線で南東方向へ進むはずが、当時栽培されていた煙草の葉に蒸気機関車の煙が悪いと反対に遭い急きょ線路を曲げた経緯があると最近になってこの土地に住む国鉄OBの方から聞いた。 豊肥本線中判田 S60(1985)/3/6

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 カーブした細いホームから4輌編成の下り列車を見る。蒸機時代は下り線外側にも側線が敷かれていたようだ。背後の山裾にこの時期に開発された住宅団地の街並みが広がっているのが見える。豊後竹田発大分行普通列車は両運キハ40とキハ65を中間に挟んだ両端キハ58の3連で、1+3の組合せであった。上り列車待合せのためしばし停車する。 747D 豊肥本線中判田 S60(1985)/3/6

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 上り列車が入って来た。気動車の軽快なアイドリング音と機関車の重たい響きが重なって聞こえてくる。側線の右側に駅本屋がわずかに見える。撮影時は中判田駅日豊本線坂ノ市駅を結ぶ国鉄バスが健在で地元の人は省営バスと呼ぶ世代があると前出の国鉄OBの方から聞いた。狭い駅前でバスの転回はどのように行われたのだろうか。 豊肥本線中判田 S60(1985)/3/6

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 牽引機DE101173〔大〕は昭和47年4月に大分へ新製配置された機関車である。大分~豊後竹田間の客車列車は昭和47年3月、C58からDE10に引継がれてからもなお健在であったが、この春の改正で気動車に置換えられる事となり、豊肥本線客車時代の終焉を迎えようとしている。 748レ 豊肥本線中判田 S60(1985)/3/6

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 50系客車6輌を従えてホーム先端まで進む。まだ動いている。 747Dと748レ 豊肥本線中判田 S60(1985)/3/6

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 上りが停止したことろで下り出発信号機が青に変わる。キハ58がエンジンを噴かして紫煙をあげる。18時12分747D発車。 豊肥本線中判田 S60(1985)/3/6

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 上り列車から降りた乗客が跨線橋を渡って駅本屋へ向かう。かなりの人影が見える。手前右側に曲線に対応した中継信号機が建っている。 748レ 豊肥本線中判田 S60(1985)/3/6

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 18時13分、上り豊後竹田行748レ発車。オレンジ色の運転位置表示灯が流れる。50系客車からSGのスチームが噴き出ている。ゆっくり分岐器を進む。 豊肥本線中判田 S60(1985)/3/6

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 日没前、霞みのかかった山々の方へ列車は小さくなっていく。オハフ50の車内灯とテールランプが印象的に映る。「安全」と標語が貼られた転轍小屋がまだ残っていた。左は出光興産のデポがあり、かつては専用線鶴崎からの灰色のロングタンク車タサ5700が停まっていた。中判田の有効長はけっこう長い。 豊肥本線中判田 S60(1985)/3/6