転轍器

古き良き時代の鉄道情景

豊後竹田

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 豊後竹田6:57着7:02発上り列車の車内から駅の様子を眺める。構内で夜を明かした下り列車3本はすでに発車した後で留置線に車輌の姿はない。この春の改正までは2台のC58が駐泊していた。駅名標のとなりに建つ名所案内には岡城跡、長湯温泉、祖母山、大船山久住山が記されていた。

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 2番線は豊後荻発大分行が入って来た。熊本機関区のバス窓キハ5534は前日大分からの運用を終え夜間滞泊の後、豊後荻まで回送されて727Dとなる。ホーム上には郵便荷物用の「豊後竹田駅」、「郵政省」と書かれた台車が置かれていた。 豊肥本線豊後竹田 S47(1972)/3/29

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 城下町竹田は「坂とトンネルの街」と呼ばれ深い山に囲まれ、豊後竹田駅も岩山がそびえるトンネルとトンネルの間に設置されている。朝もやのかかる構内の景色は水墨画のような山紫水明の地としてかつて紹介されていたのを思い出す。上り列車が動き始めた。  豊肥本線豊後竹田 S47(1972)/3/29

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 C58や9600が駐泊した豊後竹田駐泊所は給炭台と給水塔、その向こうにターンテーブルが見える。昭和37年に撮影された駐泊所の写真(写真集鈍行列車紀行1961-1970下巻/ぶめるつーく/平成6年7月刊)を見ると、保線用車両が止まっている先に2線+1線の矩形庫が建っていて入口に「黒煙防止」の看板が掲げられていた。矩形庫はいつしか取り壊されたが、給炭台と縄で巻かれたスポート、「黒煙防止」の看板(矩形庫から給水塔に移設)が付いた給水塔、そして転車台のある光景は蒸機全盛時代が彷彿として浮かぶ。 豊後竹田駐泊所 S47(1972)/3/29

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 また、給水塔の位置にそれぞれ向きが反対の2台の9600が駐機している写真が「昭和40年代の蒸気機関車写真集16 機関区風景西日本編(タクトワン/平成15年刊)」に掲載されていた。どのような状況であったか思いを巡らせた結果、ダイヤを引いて見ると下り貨物(赤線)と上り貨物(青線)がともに豊後竹田で長時間停車することがわかり、入換の間合いに水を飲みにそれぞれの9600がスポートに集まってきたものと思われる。C58の居ない昼間は9600の貨物列車が2本並び、その光景は一度は見ておきたかった。

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一部想像が入っているが豊後竹田構内図を書いてみた。昼間2本の9600が牽く熊本大分間の貨物列車は停車中に旅客列車の交換も設定されているのがダイヤからわかる。上下本線と副本線3線の配線では4本の列車並びは不可能で、2本の貨物列車のうち1本は編成を分割して側線に押し込んでいたのかもしれない。

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 国土地理院地図・空中写真閲覧サービス USA-R177-25 昭和22(1947)年11月 竹田から

 昭和22年の構内の様子。留置貨車がとても多い。画面下側、転車台の右隣りが件の矩形庫である(矢印)。機関車が縦に2台収まる長さのように見える。豊後竹田の駐泊所の正式名称は定かではないが、昭和35年3月の大分運転所発足時に豊後竹田支所となったようである。

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 国土地理院地図・空中写真閲覧サービス CKU763-C15-45 昭和51(1976)年12月 竹田から

 C58の駐泊が終了して4年半後の写真。転車台は埋められているようにも見える。貨物輸送は未だ健在で滞留貨車も多く活況を呈しているように見える。副本線3番線は4輌編成の気動車が入線し、留置線としても使われているようだ。この時はまだ1往復の通勤客車も健在でC58に代わってDE10が駐泊していた。良き時代の豊後竹田構内を垣間見ることができた。