転轍器

古き良き時代の鉄道情景

大分運転所 昭和47年2月20日

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 無煙化計画が進捗する昭和47年3月ダイヤ改正前は幾度か大分運転所を訪れている。いつも蒸気機関車で埋まっていた給炭線はこの日の朝はDE101015〔大〕とC58105〔大〕、D51567〔延〕の3輌が手をつないで佇んでいた。

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 新鋭DE10が出揃うなか、日豊・豊肥・久大の各本線で軌跡を残した58689〔大〕は未だ大分構内の入換に励んでいた。この後に訪れた際は「特休車」の札が付けられて扇形庫で眠っていたので、この時が稼働の姿を捉えた最後のカットとなった。 大分運転所 S47(1972)/2/20

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 南延岡のD51は昭和46年頃からメンバーチェンジが始まり、新しいナンバーが加わってきた。46年5月に熊本から222、9月に早岐から46、10月に鳥栖から361、門司から567が転属している。D51567〔延〕は門司の特ちょうであるキャブのナンバープレートのはみ出しもなく砲金製「延」の区名札が取り付けられていた。ナンバープレートは4枚全て大きいサイズで数字書体も大きく見える。 大分運転所 S47(1972)/2/20

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 キハ581017〔分オイ〕が転車台で回っている。煤けた後位側のディテールは配電盤カバーや銘板、連結ホース等とても賑やかに映る。パノラミックウインドウのキハ581000番台は1017・1018・1141の3輌が在籍していた。 大分運転所 S47(1972)/2/20

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 DE101015〔大〕は大分運転所DE101000番台のトップナンバーである。昭和45年5月日車製。手前の転車台につながる線路番号は「24」で、後方扇形庫の24番に対応している。 大分運転所 S47(1972)/2/20

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 DF50503〔大〕は奥羽・羽越本線で働いた秋田機関区の所属であった。昭和41年8月、日豊本線立石峠の無煙化補機として大分に転属して以来、大分に踏みとどまって日豊本線のナンバーとなっていった。 大分運転所 S47(1972)/2/20

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 久大本線の郵便荷物輸送を担うキユニ162〔分オイ〕が検修庫に入っていた。電気式気動車キハ44100から改造された複雑な経歴を持つ奇異な車輌であった。 大分運転所 S47(1972)/2/20

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 豊肥本線熊本~大分を結ぶ貨物列車はあとわずかで廃止される。外輪山を越えて東九州に姿を見せる熊本のキュウロクはもう見られなくなる。39680〔熊〕は大分で見た最後のキュウロクとなった。 大分運転所 S47(1972)/2/20

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 豊後竹田駐泊の仕業を終えて運転所へ帰ってきたC58105〔大〕。給炭線で石炭を満載した後、方向転換して次の貨物仕業に備える。給炭槽を下から見上げると巨大な給炭設備の構造に威圧される。 大分運転所 S47(1972)/2/20

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 昭和47年3月15日ダイヤ改正豊肥本線大分~豊後竹田間と日豊本線大分~佐伯間旅客列車の無煙化が達成される。新製DE10の進出でC58はいよいよ風前と灯となってきた。この日、C58115〔大〕は「特休車」の札がかけられて冷たくなっていた。C58124〔大〕はまだ火が入ってぬくもりが感じられた。DE10が出揃うまではまだまだ貨物列車で頑張ってほしい。 大分運転所 S47(1972)/2/20