転轍器

古き良き時代の鉄道情景

熊本機関区の9600

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 豊肥本線は熊本と大分側から宮地軽便線、犬飼軽便線として建設が始まり、昭和3年12月に全線開業した。本線用の8620と9600が下級線区へ投入され始めた昭和9年頃、熊本機関区に9600が配備され、以後幹線筋から操配されたC58と共に豊肥本線での足取りが始まる。昭和20年8月、宮地機関区が開設され9600とC58の配置区となる。その後C58は大分へ集約され9600の基地として豊肥本線の要衝を支えてきた。ディーゼル化が行われた昭和39年3月、宮地機関区は熊本機関区に統合され19年の歴史に幕を閉じ9600は熊本機関区配置となった。
 9600の運用範囲は熊本~大分間の客貨で、昭和39年DC化以降の客車列車は熊本~宮地、大分~豊後竹田間へ分断された。昭和40年から44年頃にかけて宮地~豊後竹田間早朝の貨物列車に客車を付けて豊後荻~豊後竹田間だけ旅客営業する791レという準混合列車があり、これも9600の担当ではなかったかと推測する。貨物は大分側で一時幸崎まで日豊本線を走る運用があった。熊本側では鹿児島本線上熊本から南熊本、水前寺までの小運転もあった。九州を横断する貨物列車は昭和47年3月で廃止され、9600の運用範囲は宮地までとなり昭和48年4月のDL化で終焉を迎える。

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 豊肥本線9600の動向は鉄道趣味誌と配置表、昭和20年代の門司鉄道局機関車配置表(大分市佐藤晴章さん所蔵)をつなぎ合わせて追いかけてみた。昭和22年から48年まで概ね27輌の消長があった。昭和22年から数が減っているのはC58配置の兼合いと思われ、減少の9600はほとんどが門鉄局の門司・若松・直方・行橋に転出している。39680と59653は元々宮地の罐で一旦他区に出て再び戻って来るおもしろい動きをしている。宮地から熊本へ引継いだ8輌の内、59670・69616・69665・69699・79602が豊肥本線蒸機終焉まで活躍した罐であった。無煙化が完了した昭和48年春以降、全検期限のあった19680は小樽築港へ、69699は岩見沢第一へ、79602は倶知安へ、79653は岩見沢第一へと渡道している。
 昭和40年代後半、私と出会ったナンバーは19680・39680・59653・69616・69665・69680・69699・79602・79608・79653の10輌でネガに残せたのは幸運であった。勾金で会った後藤寺の19696も蒸機晩年に熊本へ転属していたこと知り機関車操配の妙を思う。

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 19680〔熊〕は昭和46年10月に直方から転属してきた。継足しの深い化粧煙突とデフ無しの構えは筑豊スタイルといえる。ランボード一直線の右サイドは意外にもパイピングが少なく、すっきりとした印象を受ける。 熊本機関区 S47(1972)/3/29

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 菅尾から距離は短いが25‰の上りを噴煙を上げて進んで来るのは69680〔熊〕であった。 794レ 豊肥本線 三重町~菅尾 S46(1971)/9

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