転轍器

古き良き時代の鉄道情景

国鉄バス佐賀関線

 昭和60年夏、かつて存在していた日本鉱業佐賀関鉄道の廃線跡を巡ってみた。幸崎から佐賀関半島の海岸沿いを走る国道から築堤や橋梁、トンネル跡を撮りながら「東洋一」と詠われた精錬所の大煙突と漁港の街、佐賀関へ着いた。車輌の居ない景色は物足りなく、汽車の見える幸崎へ戻ろうとしたその時、高台から駅のような雰囲気の漂う建物が目にとまり近づいてみた。 撮影は全て:S60(1985)/8

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 当時の被写体は鉄道でバスに興味はなかったが、まるで駅舎とホームの光景にたまたまバスが入って来た。

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 近づいて見る。活気ある街のバスターミナルであった。レールで組まれた柱の高い庇状の屋根が気になる。

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 横の広場では国鉄バスが待機している。方向幕は「佐賀関ー坂ノ市」を掲出。

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 国鉄バス転向場の看板。「日本国有鉄道」の文字に安堵する。鉄道でいえば、さしずめ駅構内はずれにぽつんと置かれた転車台の風景といったところか。

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 かつての線路跡のような道を大分バスの大分行が出て行く。

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 やはりこの建物は日鉱佐賀関駅であった。古い写真を見ると三角屋根の妻面に大きな駅名看板が掲げられていた。また「レイル26私鉄紀行 南の空、小さな列車」(プレスアイゼンバーン/平成1年刊)に掲載された車輌基地の写真から、駅舎奥に続く線路は海岸線のカーブに沿っているのが確認できる。

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 日鉱佐賀関鉄道日鉱辛幸駅の近く。バス路線は国鉄バスと大分バスの2系統があり、右の錆びた標識が国鉄バスのもの。

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 時刻表(日本交通公社)昭和58年11月号から

 昭和30年代に佐賀関町に在住されていた大分市の渡邊孝司さんから貴重な国鉄バスの体験談を聞いた。軽便(日鉱佐賀関鉄道のことは地元では「けいべん」と呼称)廃止後は日鉱佐賀関精錬所が国鉄と契約して日鉱大志生木駅近くの社宅から精錬所まで専用の国鉄バスが運行されていたとのこと。また乗車の国鉄バスが途中でエンストし、乗客皆が降りてバスを押したこと、また車内は油の臭いが漂っていたこと等古き良き時代の光景が思い浮かぶ。
 また「佐賀関町史(昭和45年発行)」(渡邊孝司さん所蔵)から国鉄バスの項を抜粋する。
 「昭和恐慌下における国鉄は、資本の固定する鉄道の敷設を控えて、比較的小資本で開業し得る省営自動車(現在は国鉄自動車と呼ぶ)の拡充をはかり、一般自動車の進出に対抗する手段ともした。県下で最初に手を染めたのは、昭和8年3月23日開業の佐賀関線(幸崎~佐賀関間。25年11月1日坂ノ市経由中判田へ延長)である。その目的は精錬所と漁港の佐賀関町日豊本線に結ぶためであった」。

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 国鉄バスは佐賀関線(佐賀関~坂ノ市~中判田)と臼三線臼杵~三重町)の2路線が運行されていた。昭和初期の鉄道省時代の設定であったので、地元の人は「省営バス」と呼ぶ世代があると聞いたことがある。「佐賀関ー坂ノ市」の行先表示を出した国鉄バスがささやかな佇まいの幸崎駅に到着する。乗降客は列車の接続があるのか意外に多くて驚いた。

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 時刻表(日本交通公社昭和36年9月号から

 地図凡例は細線が会社鉄道線、二重太線が国鉄自動車線、二重細線が連絡自動車線とある。幸崎~佐賀関間は会社鉄道線と国鉄自動車線が記載されている。俯瞰すると会社鉄道線は中津~守実温泉、豊後高田~宇佐八幡、杵築~国東、亀川~大分が健在でまことに鉄道良き時代であったと思う。

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 今にも列車がやってきそうな築堤。線路幅762ミリのかわいいケコキハが現れるのではないかと思いを馳せる。
日鉱佐賀関鉄道の開業と廃止は以下の通り。
昭和21年3月 専用鉄道として開業
昭和23年6月 地方鉄道として営業開始
昭和27年3月 国鉄と連絡運輸開始
昭和35年3月 貨物営業廃止
昭和38年5月 廃止
(鉄道ファンNo.26「日鉱佐賀関鉄道をしのんで」から)

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 国鉄が分割民営化された直後に幸崎で貨物を撮っている。その時のネガに国鉄バスが写っていた。国鉄の標記は消え、JRのロゴがあしらわれていた。カラーネガのカビ処理と退色復元を行うもあの国鉄色は戻ってこない。懐かしい1枚となった。 S62(1987)/6