転轍器

古き良き時代の鉄道情景

北九州を行くセメント・石灰石列車 日田彦山線

 北九州を行く日田彦山線カルスト台地平尾台と福知山塊の間のわずかな平地をぬけて城野で日豊本線に合流する。石原町発の上り積車編成は城野に向けて下り勾配を軽やかに進む。石原町は九州最大のセメント・石灰石発送駅でD51牽引の専用列車が多数設定され、石原町発着列車のD51は上り積車編成は正位、下り返空編成は逆行で運転されていた。 石原町発黒崎行8870レ 日田彦山線石田~志井 S48(1973)/3/29

 黒崎行8870レはかなり長い編成で、機関車次位のセフに続き「黒崎─石原町間専用」のセキ6000が14輛、その後が異径胴タンク車のタキ9900が7輛で22輛編成であった。 日田彦山線石田~志井 S48(1973)/3/29

 D51382〔門〕の牽く石原町発東小倉行5796レは住友セメントのタンク車を率いてやって来た。石原町からは住友セメントと三菱セメントが、香春からは日本セメント専用線が敷かれ、それぞれの私有貨車で組まれたバラエティ豊かな編成が見られるのはこの区間の魅力であった。 日田彦山線石田~志井 S48(1973)/3/29

 前2輛のタンク車は葉巻形をした異色のタキ11500ではないかと思われる。後半は見慣れた住友セメントのタキ1900が続いていた。セメントタンカーは住友セメント小倉工場の東小倉と石原町のそれぞれの専用線の間で運用されていた。 5796レ 日田彦山線石田~志井 S48(1973)/3/29

 香春から来る編成は日本セメントのホキ3500で組まれていた。石田上り場内腕木式信号機は通過のサインを出している。 1894レ 日田彦山線石田~志井 S48(1973)/3/29

 上り列車通過を待って香春行ホキ3500編成が発車する。2基の場内信号機から通過列車は右側の線を通るようだ。次から次にやって来るセメント・石灰石列車にただただ驚くばかりであった。 門司(操)発香春行5767レ 日田彦山線石田~志井 S48(1973)/3/29

 城野を発車した日田行727Dの気動車からとなりの線に退避している貨物列車の機関車にカメラを向ける。対向列車ではなく追い越しだったので貨車の列が途切れてシャッターを押す時はもうかなりのスピードが出ていた。逆行D51275〔門〕は三菱セメントのホキ6700を従えて石原町から専用線へと入る。 5785レ 城野 S48(1973)/3/30

 小倉発豊前川崎行733Dは、門司港筑豊本線伊田線経由由布院行急行“はんだ”の出発を待って小倉を後に日豊本線を下る。15:15小倉発。城野は日豊本線下り1番線に入ると、D51215〔門〕の牽く香春発東小倉行5768レが5番線で待機していた。733Dは日豊本線上り線に渡り、さらに外側の日田彦山線に渡って進路変更する。733D15:24発、5768レ15:24発。 キハ1615〔門カタ〕の車窓からD51の“幸せいっぱい!”の発車を見る。 城野 S48(1973)/3/29

 豊前川崎行気動車列車が石田停車でしばらく待機。前方から速度を落とさない貨物列車が接近して来た。D51344〔門〕の機関助士はまさにタブレットを通票受けに掛けようとしている。石原町からの石灰石列車は猛スピードで通り過ぎて行った。石田は通過列車がスルーの線形で上下線どちらからも入線できる1面2線の配線で、場内信号機は2基設置されていた。城野~石原町間は列車密度が高く、石田と志井は列車交換が多い。 733Dと5868レ 日田彦山線石田 S48(1973)/3/29

 黒崎から石原町への返空編成は鹿児島本線貨物線を北上し、門司操車場でスイッチバック日豊本線に進路をとる。北九州でセメント関連の貨物駅は外浜・門司埠頭・葛葉・東小倉・黒崎・黒崎港等があった。逆行D51215〔門〕がタキとセキの編成を従えて小倉1番線に入る。 5881レ 小倉 S48(1973)/3/30

 D51215〔門〕は元早岐機関区の罐。3本の砂撒管が川の字のようにボイラを伝っているのとナンバープレートが前方移動のないキャブに収まるタイプはD51344〔門〕と同じ装備であった。シンダエプロンは裾広がりのない独特なスタイルだった。 小倉 S48(1973)/3/30

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