転轍器

古き良き時代の鉄道情景

大行司 キハ66・67 4連同士の交換

 この当時の私の撮影スタイルは何かの列車をめがけて出かけるのではなくて、たまたま立ち寄った駅や線路端に現れた列車にカメラを向けた偶然の度重ねであった。高速道路がまだ未整備だったあの時代、北九州からの帰り道、あえて遠回りになる筑豊を経由し嘉麻峠を越えて日田に向かおうとしていた道中に出会ったのが日田彦山線大行司駅であった。

 北九州と日田を結ぶ日田彦山線国道211号線は別々のルートで南下する。大肥川に沿った国道211号線釈迦ヶ岳トンネルを越えてきた日田彦山線とが寄り添って走り始める位置に大行司駅はあった。国道から見ると線路は高い位置にあり、階段を駆けあがって駅に辿り着いたような気がする。ちょうど小倉発日田行キハ6614〔門カタ〕先頭のキハ66・67 4輛編成が入って来るところであった。 743D 日田彦山線大行司 S60(1985)/4/10

 新幹線博多開業の年の昭和50年にキハ66・67は誕生している。高床運転台にユニットサッシ、電車タイプの冷房装置や転換クロスシート等どれも従来のキハ58・65とはかけ離れたスタイルでとても新鮮に映ったものだ。「日田」の行先が蛍光灯に浮かぶサイドの行先表示窓は洗練されたデザインで好感が持てる。 743D 日田彦山線大行司 S60(1985)/4/10

 駅の築堤は桜が満開であった。しばらくして日田発門司港行キハ677〔門カタ〕先頭の744Dが入って来た。レールに反射するヘッドライトの明かりが近づいて来る。テールライト点灯の待機するキハ679〔門カタ〕の運転席は室内灯で淡萌黄色の車内がくっきりと浮かんで印象的であった。 日田彦山線大行司 S60(1985)/4/10

 山間の小駅に8輛の大出力エンジンのアイドル音が響く。門司港行が先に動き出す。

 門司港行キハ667〔門カタ〕のテールライトがエンジン音と共に遠ざかる。筑前岩屋、釈迦ヶ岳トンネルに向けて25‰の上り勾配に挑む。城野起点59キロポストが見える。 744D 日田彦山線大行司 S60(1985)/4/10

 後方にそびえる円錐形の山は英彦山山系の標高844mの釈迦ヶ岳と思われる。4379mの長大な釈迦ヶ岳トンネルはその山を貫いている。

 下り出発信号機が赤から青点灯に変わる。日田行4連のエンジン音が唸りを上げ紫煙が舞う。大行司を出ると宝珠山で福岡県と大分県の県境を越え、大鶴、今山、夜明まで大肥川に沿った下り勾配を進む。 743D 日田彦山線大行司 S60(1985)/4/10

 私の日田彦山線とのかかわりは昭和40年代、志井・石原町・香春・伊田・後藤寺の各駅で下車して石灰石・セメント列車を追いかけた時、昭和50年代に全線乗車した時、そして昭和60年代のこの時が全てであった。昭和50年代初頭に今山付近で撮ったフィルム紛失で再度行きたかった宝珠山のアーチ橋へはかなわず仕舞いで、今となっては残念の極みである。