転轍器

古き良き時代の鉄道情景

2022-01-01から1年間の記事一覧

豊の国号 復路

第2大野川橋梁を渡る。鉄橋が俯瞰できる台地は大勢の撮影者で埋まっていた。“豊の国号”復路は三重町12:37発、菅尾12:46:30通過、犬飼13:01:30発、竹中13:10:30、中判田13:19、滝尾13:29:30、下郡(信)13:34:30通過、大分13:39:30着のダイヤであった。 9705レ …

豊の国号 往路

豊肥・日豊本線が並走するここは、かつてC58・D51・8620・9600が来るのを待った思い出の地。汽笛数声、華やかなC581“豊の国号”が駆け抜ける。機関士は線路端の小さな見学者に手を振ってこたえる。 9704レ 豊肥本線下郡(信)~大分 S56(1981)/12/10 かわいいこ…

豊の国号 昭和56年12月6日

出区準備完了。きょうの仕業は12系5連を従えて別府へ回送、別府から三重町を往復し、12系は別府に残してC581は単機で帰区する。 大分運転所 S56(1981)/12/6 客車留置線の12系を迎えにいざ行かん! 12系のテールマークも機関車と同じデザイン。 4番ホームへ据…

豊の国号 C581

日豊本線大分開業70周年と大分県観光キャンペーンの一環で梅小路からC581を呼び寄せて蒸機列車が運転された。運転区間は日豊本線別府~豊肥本線三重町間で大分・犬飼が停車駅となった。昭和56年12月1日から4日まで訓練運転、6日から11日までの6日間、1日1往…

キハ31

国鉄分割民営化直前に登場した軽量ステンレス17mの軽快気動車はすっかり久大本線の顔となっていた。車内の2+1人掛けシートと運転室脇のワンマン運転対応機器はまるでバスを見るようであった。 久大本線湯平~庄内 H3(1991)/1 1面2線の上下線と留置線3線の配…

SLやまぐち号 C581

二度目の“SLやまぐち号”は緑ナンバーのC581であった。黄色地に青いナベツルのヘッドマークは黒い車体によく映える。復路の準備は12系を牽き出してホームに据えるところ。後方の山腹に見える神社看板や駅ホームの日本五大稲荷の行灯は厳かな風情を漂わせてい…

SLやまぐち号 C571

思わぬところにアクセントがある「おいでませ山口へ」の独特な山口弁の語りが耳に残っている。山口線蒸機復活運転は梅小路蒸気機関車館のC571が走ることを知り4年ぶりに山口線を訪れた。集煙装置を装備し、赤色の形式入大形プレートを付けたC571は思った以上…

オヤ3121

建築限界測定車オヤ31は「国鉄客車・貨車ガイドブック(誠文堂新光社/昭和49年4月刊)」によると7輛あり、戦前製の客車を改造して札幌・仙台・新潟・東京・名古屋・大阪・門司に配備されていた。門鉄局のオヤ3121の前身は、CTS連合軍民間運輸局が作らせた密閉…

客車列車 昭和53年頃

今振り返ると昭和53年頃は機関車の牽く客車列車は当たり前の時代、旧形客車だからと意識して撮るようなことはなかった。オハ35やオハ47等を連ねた客車列車は普通に走っていた。しかし九州はこの年から筑豊本線を手始めに50系客車が投入され、その後各地に新…

スハフ36と細島線客車列車について

昭和45年3月、大分構内で客車入換を撮った写真に不思議な客車が写っていた。車体は狭窓の並ぶスハ32で、足回りは近代的なTR47系を履いている。平成時代にネガスキャンしたあたりからずっと気になっていた。「鉄道ピクトリアルNo.777(平成18年7月号)」はスハ3…

大井町界隈

東上するブルートレインのトップバッターは“出雲”。EF65539〔東〕が牽く20系12輛編成が通る。 2002レ 東海道本線品川~川崎 S49(1974)/10/24 再度訪れた時は“出雲”の編成は24系に変わっていた。 2002レ 東海道本線品川~川崎 S51(1976)/3/22 続いて西鹿児島…

C5557

日豊本線で運よくC55と会う。C5557とは昭和45年夏に若松機関区庫内で、昭和46年夏筑豊本線で会ってこの時が3度目であった。筑豊の時は気づかなかったが煙突と給水温め器に装飾が施されている。逆に筑豊で見た時は付いていたリンゲルマン濃度計は外されて煙突…

C57の牽く貨物列車

昭和40年代、私の中学生時代の感覚では本線と名のつく路線の機関車は、旅客はC57、貨物はD51という勝手な思い込みがあった。関西・紀勢・山陰・鹿児島・長崎・日豊の各本線がそうであった。またその形態が本線の貫禄というものであろうと思っていたが、実は…

C5692 宮崎構内入換

夜行列車で宮崎駅に降り立った時は夜明け前、向かいのホームから単機のC56が勢いよく飛び出して行った。妻線仕業に佐土原へ向かったものと思われる。明るくなって構内外れに来るともう1輛のC56が入換をしていて、この時宮崎機関区は2輛のC56が配置されていた…

高千穂51号と高千穂52号

昭和47年夏期の本州対宮崎方面の臨時列車は以下の3往復が運転されていた。(1)単独列車/名古屋~都城間/下り“高千穂51号”上り“高千穂52号”(2)併結列車/名古屋~八代・宮崎間/下り“くまもと・高千穂52号”上り“くまもと・高千穂51号”(3)併結列車/新大阪・岡山~…

宮崎構内入換風景

駅北側の跨線橋から活気ある構内を見物する。貨物ヤード・駅・機関区・客車ヤードが一望できた。手前の貨車が雑然と並ぶさまはさしずめ貨物荷捌き所と呼べるような時代を感じる旧態な風景に見える。C56が忙しそうに入換に励んでいる。 宮崎 S47(1972)/1/5 形…

関門トンネルを通る

関門トンネルを通る機会に恵まれ列車の最後部から前面ならぬ後方展望を楽しんだ。まずは関門トンネルから出てきたEF30重連の上り貨物列車と会う。下り本線4番線から見るEF30重連は、構内外れの上り貨物10番線から上り本線9番線に渡って進んでいるようだ。 下…

下関 昭和54年2月

門司(操)からの貨物列車が幡生(操)へと下関構内を通過する。関門専用の機関車はEF302〔門〕+EF3015〔門〕の重連であった。下関は3面6線のホームで番線表示は3番から9番まで振られ、旅客線外側に下り貨物線1番線、上り貨物線10番線が通っていた。一番右は下…

コンテナ車いろいろ

深夜の駅構内照明塔の下、機関車の連結を待つコンテナ編成が中線に置かれていた。これまで見てきたコンテナ車のイメージは5トンコンテナ5個積載であったが、いつ頃からか4個積みを見るようになってコンテナの規格もサイズが大きくなったものと思われる。この…

ミム100

ミムの「ミ」は文字通り水の「ミ」で、ミム100は水を運ぶ水運車であった。D60を撮った際、湯平の側線にぽつんと1輛置かれていたのでカメラを向けていた。全景を撮ったつもりが左側は光が入って白くなってしまった。 ロミム203 形式ミム100 湯平駅常備 久大本…

南延岡機関区D51形式配置状況の変遷

九州東側、日豊本線にD51が入って来たのは西側に遅れること12年後であった。昭和23年6月、九州管内各基地の運用合理化で捻出された6輛が日豊本線用に振り向けられ、大分に6、南延岡に4輛が配備され、ここに日豊本線ミカド機の歴史が始まった。南延岡機関区の…

D51 九州初上陸の3輛

昭和11年から20年にかけて1115輛もの多きが製造されたD51は、1~85、91~100までの95輛は“なめくじ”と呼ばれた半流線形で登場している。昭和11年に落成した最初の23輛の内の3輛ー8・9・10ーは海を渡って九州に初上陸した、その後の展開に先鞭をつける、記念…

D51と出会った日々 日豊本線のD51/昭和44年~49年

汽車の写真を撮り始めた昭和44年は、日豊本線はC57とD51が、豊肥本線はC58と9600が、久大本線はD60と8620が本線上を闊歩していた。この年に初めて見るDE10と出会って以来、動力近代化の波はあっという間に押し寄せ、昭和46年にD60が、47年にC57・C58・9600…

D5146

扇形庫のピットで整備中の46号機。はみ出したナンバープレート横の取付け穴はタブレットキャッチャーの跡だろうか。そのままナンバープレートを動かせばぴったり収まるように見えるが。キャブ下の機械美に魅了される。 南延岡機関区 S47(1972)/12/29 右サイ…

D51714

D51714〔延〕を跨線橋から見る。キャブの前扉は解放して走っている。ランボードの白線は前寄りだけ残ってサイドは消えている。ドーム前方のボイラ歩み板に手摺が付けられているのが珍しい。 日豊本線大分~高城 S47(1972)/8/31 D51714を手持ちの配置表で探す…

D51176

昭和45年10月の鹿児島本線全線電化で熊本のD51が3輛南延岡へ移動している。D51176はその先陣をきって昭和45年10月に来て日豊本線の罐となった(222は昭和46年5月、482は昭和47年5月)。昭和32年、36年、41年の配置表を見るとこれら3輛は何れも熊本に記載されて…

大井町 東京タワーの見える景色

東京では東京タワーの景色など当たり前であろうが、自分の撮った写真の後方にたまたま写っていたのは驚きであった。当時は東京タワーの存在の意識すらなく、往来するブルートレインや電車群を追いかけただけ、構図を考えるゆとりすらなかった。東京タワーが…

京浜東北線大井町

夕方のラッシュが始まる京浜東北線の大井町駅。国電の駅風景は私鉄沿線とはまたちがった雰囲気がある。北行は「大宮」、南行は「大船」を掲げたスカイブルーの103系が並んでいた。複々線の線路を跨ぐ陸橋を支える煉瓦積みの橋台や掘割の壁の造りは歴史の重み…

南延岡のD51 異国からの使者6人

昭和47年10月は白新線と羽越本線の電化開業で日本海縦貫線全線の電化が完成した。奥羽本線無煙化も相まって秋田機関区と横手機関区のD51が、需給関係がひっ迫する南延岡機関区にやって来ることとなった。この年の12月、これら「異国からの使者」を大分運転所…

暁の宗太郎峠 571レ

まだ夜が明けやらぬうちに通り過ぎて行った551レの数十分後、2本めの571レを待つ。朝日が昇ってやや明るくはなったが線路は依然として山影の中、山裾を這う煙を追いかけながら国道脇の足場から俯瞰し、列車の動きと風で流される煙のタイミングを見定めながら…