転轍器

古き良き時代の鉄道情景

スハフ36と細島線客車列車について

 昭和45年3月、大分構内で客車入換を撮った写真に不思議な客車が写っていた。車体は狭窓の並ぶスハ32で、足回りは近代的なTR47系を履いている。平成時代にネガスキャンしたあたりからずっと気になっていた。「鉄道ピクトリアルNo.777(平成18年7月号)」はスハ32系特集で、この記事で『スハフ36はスロ54形への冷房装置取付けや、スロ53・スロネ30形等の荷物車改造に際し、スハ32形の台車をTR40Bに変更したために生じた台車交換の新形式』ということがわかった。大分と南延岡に2輛ずつ配置され、何故か南延岡のナンバーを大分で撮っていた。 58689〔大〕とスハフ361〔分ノカ〕 大分運転所 S45(1970)/3

 台車交換の新形式スハフ36は昭和43年から46年にかけて19輛が改造されている。車歴表から4輛のスハフ36(1~4)は大分配置のスハフ32(228・231・310・320)が対象となり優等客車の台車履き替えで再び大分配置となっている。昭和44年3月時点の配置表では1・2が南延岡、3・4が大分と記載され、昭和47年2月の廃車時とはナンバーが逆になっていた。

 昭和30年代から40年代にかけて細島線客車列車が掲載された時刻表、並びに南延岡配置客車の動きを追ったのが下図である。

 気動車列車ばかりと思っていた細島線は朝の上り片道だけ客車列車が存在していた。南延岡に配置され続けていた2輛のスハ32系はこの列車に充当するためであったと思われ、ナンバーは大分と南延岡を渡り歩いていたことがうかがえる。昭和41年10月改正では延岡までの運行は南延岡止りになっていた。

 細島発南延岡行932レは昭和45年9月までは運転されたようで、45年10月改正では列車番号932にDが付いてこの時点で気動車化されたものと思われる。スハフ32からスハフ36への変更は外見は同じであるが乗り心地はいかばかりであっただろうか。趣味誌やWEB上で「8620の牽く細島線の貨物列車」はよく見かけたが、客車が連結された列車の写真はこれまでお目にかかっていない。

 南延岡配置2輛の客車は細島1往復のためだけであったのだろうか。本線の付属編成として佐伯・宮崎往復があったのではないかと時刻表を辿るが、朝の細島発の時刻からそれは不可能であった。昭和43年10月改正で土曜日運転上りだけの南延岡発北川行を見つけることができた。細島線932レディーゼル化後、2輛のスハフ36はどのような身の振り方をしたのか知る由もない。

 分鉄局のスハ32系末期は上図のような配置であった。昭和44年になると貴重な存在となっていたがそのような視点はなく、編成に組まれた狭窓の姿は見たことはあるがカメラは向けていない。形態は二重屋根と丸屋根があり、スハフ32で見ると75~94が二重屋根、107~346が丸屋根のようだ。スハ33は戦前の特急に使われたスハ33900の生き残りとのことであった。

 二重屋根のスハフ32はこんな感じ。リベットやアンチクライマーは重厚な雰囲気が感じられる。スハ34200の時代の名残りで大きな水タンクが備えられていたのかもしれない。リベットの有無は別として上図スハフ3292・93・94はこのタイプで何れも大分で昭和42年から43年にかけて廃車されている。

 スハフ3291はダブルルーフにベンチレーターが無い、肥薩線矢岳越えで有名になったタイプ。かつて見た久大本線客車列車に連結されていた前述の二重屋根車やベンチレーターの無いこのタイプは記憶に残っている。

 丸屋根のスハ32とスハフ32はこのようなイメージ。スハフ36の種車4輛とスハ32231以降車、スハフ32107以降車はこのタイプのようだ。スハ32231・796は昭和45年から46年にかけて大分で最後を迎え、スハフ32213は南延岡機関区の救援車スエ3147となった。

 オハフ361の唯1枚の写真は、身近にいたスハ32やスハフ32を始めとしたスハ32系の変遷について、また知っていたようで知らなかった細島線の客車列車について教えてくれることとなった。