転轍器

古き良き時代の鉄道情景

オユ10冷房車をつないだ普通列車

 半室郵便・荷物車のスユニを連結した普通列車は亜幹線の日豊本線らしい光景であった。全室郵便車しかも低屋根ユニットクーラー搭載のオユ10との遭遇は、まるで九州西側の幹線を見るようで、日豊本線でも運用されていたことに驚く。この列車は大分発西鹿児島行537列車で機関車が連結される前の1番ホームの様子を捉えている。 大分 S56(1981)/2/15

 オユ10に続くはTR47台車が凛々しいスハフ42が付いていた。「西鹿児島(都城経由)」の白サボが掲げられている。 スハフ42206〔鹿カコ〕 大分 S56(1981)/2/15

 門司客貨車区にオユ10は1001~1005の5輛が配置され、何れも非冷房の丸屋根車から改造されている。 オユ101004〔門モシ〕 門郵14 大分 S56(1981)/2/15

 車体両端の窓は郵政省所有車を示す郵便マークが掲げられている。10系軽量客車が履くTR50系台車はとてもスマートで恰好良く見えたものだ。この時期はまだトイレは垂れ流し式でトイレ流し管が見える。

 「荷物車・郵便車の世界ー昭和50年代のマニ・オユの記録ー」(クリエイティブモア/平成15年10月刊)にオユ10を連結した日豊本線普通列車の写真が掲載されている。上り2522レはED76+旅客車4輛+オユ10の連結順で、私が遭遇した下りの編成と同じであったことから推測ながらスジをつないでみた。

 時刻表昭和55年8月号からオユ10が入った編成は上図のようになる。撮影後すぐの昭和56年2月20日改正で列車番号は大分発西鹿児島行537レ→539レ、西鹿児島発宮崎行2544レ→2522レ、宮崎発門司港行534レ→526レと変わったが、わずかな時間調整でスジの流れは変わっていない。私の撮った写真だけではこのような流れは思いもつかないが、青井岳を行く上り2522レの写真からオユ10の動きは確信へと至った。