転轍器

古き良き時代の鉄道情景

37レ 筑紫・ぶんご

 ぶどう色のEF617〔宮〕が牽く東京発博多・大分行急行“筑紫・ぶんご”は進行方向左手に広がる広島第一機関区を見ながら広島駅1番線に入る。ホーム外れの電柱に「ひろしま」の駅名案内板が見える。広島を通る夜行急行は「桜島・日向・ひのくに・雲仙西海・玄海・天草・平戸・阿蘇・高千穂・さつま」と多彩であった。 37レ 広島 S37(1962)/6/15 撮影:平瀬清隆さん

 時刻表と趣味誌に掲載された編成表から客車形式を入れてみた。“筑紫”は佐世保“西海”と、“ぶんご”は長崎“雲仙”と共通運用で、長崎・早岐の各客貨車区の受持ちであった。窓幅が少し狭いスロ51とスロ54やオユ10はこの当時ぶどう色だったのか青色だったのか想像は膨らむ。
 “筑紫・ぶんご”は昭和36年10月に登場し、新幹線誕生の昭和39年10月改正まで運転された。“筑紫”はその後ひらがなの電車急行“つくし”となって存続、“ぶんご”は年末・年始の臨時列車として再登場した経緯がある。

 37レ“筑紫・ぶんご”は東海道を夜行、山陽を昼行で一昼夜走り通し、所要時間は博多22時間30分、大分24時間12分で運転された。撮影時の昭和37年は電化は広島に達したばかり、東京からのEF61やEF58は広島でC62もしくはC59に引継ぐと思われる。小郡から下関と門司港から久留米までは昭和36年に電化はされていたが、門司分割の“筑紫”はED72だろうか、C59だったのだろうか。2037レ“ぶんご”は増備が進んでいたDF50と思われ、編成は短いので立石越えはD60の補機を必要としなかったのではないだろうか。1枚の写真からの「思い」や「気づき」はつきない。