転轍器

古き良き時代の鉄道情景

中元寺川橋梁

f:id:c57115:20190301182806j:plain

 29602〔後〕がトキ編成を牽いて中元寺川橋梁を渡る。セキとホキ、セラばかりの後藤寺線の中では異色の編成のようにも思える。ホッパ車の代用であろうか。列車番号は通常下りが奇数、上りが偶数と決まっているが、後藤寺線の場合船尾へ行く(上り)のも、船尾から後藤寺に行く(下り)のも奇数と偶数が混在している。田川線糸田線の乗入先での列車番号が優先されるからであろう。築堤脇に起行への下り場内信号機が2基建っていて起行構内は本線と副本線の2線で進入できるのがわかる。 船尾行584レ 後藤寺線船尾~起行(貨) S47(1972)/3/30

f:id:c57115:20190301183052j:plain

 デフ無し、太い化粧煙突が目立つ9600がセキだけの編成を従え中元寺川橋梁にさしかかる。7394レは緩急車無しで後藤寺行なので、この編成は後続の苅田港行7494レの一部になるものと思われる。 7394レ 後藤寺線船尾~起行(貨) S47(1972)/3/30 

f:id:c57115:20190301183147j:plain

 後藤寺線を訪れた昭和47年春はC11の姿はなく9600だけが働いていた。昭和44年頃の趣味誌で蓋を被ったセラをC11が牽いている写真が載っていたのを思い出す。後藤寺機関区のC11は後藤寺線日田彦山線添田線と広く運用されていたがDC化の影響で昭和46年春頃に姿を消したようである。 上戸畑発後藤寺行5595レ 後藤寺線 船尾~起行(貨) S47(1972)/3/30

f:id:c57115:20190301183314j:plain

 後藤寺線の有名撮影地、中元寺川橋梁で逆向重連を撮る。渡る列車は田川線で有名になった7494列車で、船尾~後藤寺間は田川線で見る景色とは逆編成で現れる。後藤寺線田川線を通して列車番号はそのままで苅田港へ向かう。船尾発14:11、後藤寺14:20着14:32発、油須原で約40分休んだ後苅田港16:23着の行程であった。 7494レ 後藤寺線船尾~起行(貨) S47(1972)/3/30

f:id:c57115:20190301183425j:plain

 気動車列車も一応撮っていた。当時は当り前の朱色とクリームの塗色で何の感慨もなかったが、今にして思えばもっと気を入れて撮っておけばよかった、と悔いが残る。列車は吉塚発後藤寺行で前からキハ17+キハ20+キハ45の組成であろう。後藤寺線の列車運用は新飯塚~後藤寺間よりも篠栗線経由博多、吉塚乗入れの方が多く設定されていた。 2531D 後藤寺線船尾~起行(貨) S47(1972)/3/30