転轍器

古き良き時代の鉄道情景

文通の写真から 名古屋市電

 尾張名古屋の市電は京都に次いで日本で2番目の路面電車で、東京、大阪と並んで大規模な路線網が張り巡らされていた。地下鉄工事のため昭和36年頃から一部路線の休止を皮切りに、昭和38年から49年にかけて段階的に廃止されたようだ。手札サイズの写真に刻まれた昭和40年代後半のみどり色の電車を味わってみたい。 写真は全て 撮影:HAYAさん 所蔵:転轍手

 1400形1440 市立大学病院前 S48(1973)/11
 方向幕は「笠寺西門」行、系統番号は「臨」を掲げている。ドアは3箇所あって、手前から「締切」、真ん中が「出口」、奥が「入口」と書かれている。名古屋市交通局は日本で初めて路面電車のワンマンカーを導入したとのことで、1箇所の扉締切はそういう訳かと納得する。

 1150形1154 開橋 S49(1974)/3
 名古屋港東部地区の大江川に架かる開橋を渡る。方向幕「昭和町」は終点でこの先、次の電停のようだ。

 1500形1525 加福町 S49(1974)/3
 61系統昭和町行の1525は加福町を出ると国鉄の臨港線と平面クロスして大江町、開橋、終点の昭和町に至る。

 1500形1560 栄町 S45(1970)/3
 雨の中、2系統「稲葉地町」行が名古屋の中心地を行く。

 2000形2004 名古屋駅前 S47(1972)/2
 35系統名古屋駅前~新瑞橋は地下鉄工事で昭和47年2月末で廃止された。

 1900形1910 一州町 S46(1971)/11
 20系統「西稲永」行を掲げる1910は下回りを全て覆う車体が独特だ。曲線が強調された丸みある電車でとてもスマートに見える。熱田駅前~西稲永間は昭和46年11月末で廃止された。

 1900形1910 大手橋~一州町 S46(1971)/11
 西稲永からの折返しだろうか。「金山橋」行1910が専用軌道を行く。

 21系統「昭和町」行1400形1413と臨「熱田神宮」を掲げる1900形1914 沢上町 S49(1974)/2
 車庫がある沢上町と金山橋、池内町の間はそれぞれ国鉄線と名鉄線を乗り越えていた。

 1400形1418 熱田神宮前 S49(1974)/2/15
 名古屋市電は昭和49年3月30日で全廃される。沢上町~大江町間と沢上町~船方間はひと足早く2月15日に廃止された。最終日、暗くなった熱田神宮前電停で昭和町行を見送り、名残りを惜しむ。

 写真9点 HAYAさん撮影