羽咋市街を走る七尾線は能登半島中ほどの丘陵地帯がとぎれる平地を進んで半島を横切る線形を描いている。羽咋川沿いの田園地帯で七尾線上り列車を待つ。やって来たのは5輛編成の金沢行で5輛全て形式のちがう楽しい編成であった。 能登中島発金沢行342D 七尾線羽咋~千路 S51(1976)/9/17
先頭は見たことのない気動車で興味を魅かれる。前面のいかめしい補強板と2灯ヘッドライトで決して好きな顔ではなかったが眼前でシャッターを押していた。このカットがあったのでこの車輛がキユニ1712〔金ナナ〕とわかった。七尾機関区はDD16とキハ26・28・45・53・55、キハユニ26・キユニ17が配置されていた。 342D 七尾線羽咋~千路 S51(1976)/9/17
後追いで編成はキユニ17+キハ53+キハ45+キハ28+キハ26(55)のようだ。
金沢と珠洲・穴水・七尾を結ぶヘッドマーク付きの急行“能登路”は季節列車も含めて10往復が運転されていた。大阪発着の“ゆのくに”併結列車もあって、能登半島は長大編成の気動車列車が行き交う観光路線ということを知る。 306D“能登路3号” 七尾線羽咋~千路 S51(1976)/9/17
下り貨物列車と遭遇する。有蓋車ばかりの編成でひときわ背の高いヨ8000が目立って見える。石川県の七尾線や富山県の富山港線、氷見線、城端線は貨物輸送が旺盛であったと思われる。 七尾線羽咋~千路 S51(1976)/9/17
DE101532〔敦一〕の運転室は旋回窓が付いている。DE101500番台車はSG無しの出力増強形だ。
“能登路4号・ゆのくに2号”が羽咋駅に入る。この列車は大阪~輪島・珠洲を結ぶ“ゆのくに”と金沢~珠洲“能登路”の併結列車であった。8輛編成のうち「能登路」のヘッドマークの付いた前2輛が珠洲発金沢行“能登路4号”、次の2輛が珠洲発大阪行、後半4輛が穴水で併結する輪島発大阪行“ゆのくに2号”という編成であった。さらに後半6輛の“ゆのくに”は新潟からの6輛編成“越後”と金沢で一緒になり12輛の長大編成で大阪をめざす。 4402D 七尾線羽咋 S51(1976)/9/17
“能登路4号・ゆのくに2号”は2面3線の羽咋を出て一路金沢、大阪をめざす。以前ここから北陸鉄道能登線が分岐していたことなど知る由もなかった。
そういう視点で撮ったわけではないが北陸鉄道能登線のホームは駅名標が建つホームの向こう側にあり、さらにその奥に車輛基地があったようだ。廃止は昭和47年とのこと、駐車場となっている所が構内跡かもしれない。