転轍器

古き良き時代の鉄道情景

大分運転所 昭和47年2月11日

 昭和47年3月ダイヤ改正の概要は新幹線と在来線接続の変更、特急列車増発、無煙化用DL新製等が列挙されていた。無煙化計画はDE10の投入で青森地区・盛岡・大舘・秋田操・新津・坂町・福井・敦賀・大垣・木津・亀山・舞鶴地区・和田山・大分の入換および小運転、DE11は下関・幡生地区および鳥栖に投入とあり、大分運転所の蒸機もいよいよこれまでかと覚悟を決めなければならなかった。

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 大分入換と下郡小運転は8620とC58の仕事であった。3月改正でDE10が増備されれば58689〔大〕に白羽の矢が立つであろう。給水に来た58689〔大〕はピットの横で待機する。きれいなスポーク車輪のそれぞれ同じ位置に印された白のマーキングが気になる。転車台に続く線はこの給炭線と画面奥に見えるガントリークレーンの支柱横に1線、DL検修庫側に1線の計4線があって、そこで憩う機関車はとても絵になった。 大分運転所 S47(1972)/2/11

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 8620のナンバープレートはテンダ後面のみ形式入旧書体タイプが残っているものが多く、58689〔大〕もその例外ではなかった。 大分運転所 S47(1972)/2/11

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 D519〔延〕は昭和11年川崎製で、給水温め器・砂箱・蒸気溜が一体カバーで覆われた半流線形タイプであった。新製後は門司に配置され、鳥栖を経て昭和30年までに南延岡に移り以後日豊本線ひと筋に活躍する。右サイドは給水ポンプと発電機が見え、ランボード上の箱は清缶剤タンクのようである。 大分運転所 S47(1972)/2/11

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 本線下り貨物の運用に就くD519〔大〕は出区準備に余念がない。左サイドは空気圧縮機や独特の形の泥溜が見える。ナンバープレート横の鋳出し文字で作られた「延」の区名札は威厳を示しているようだ。キャブ屋根に見える引っ掛け金具のような部品は工場で吊り上げる際にフックをかける「吊り環」というらしい。 大分運転所S47(1972)/2/11

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 C58112〔大〕はこの日は扇形庫で休んでいた。昭和14年に汽車会社で落成、直方を初めとして九州各地を転々とし、24年12月に大分に転属している。以後豊肥・久大本線で客貨に、末期はC57の代わりに日豊本線にも進出し47年6月まで活躍した。 大分運転所 S47(1972)/2/11

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 C58350〔大〕も112同様、出番はないのか扇形庫でひっそりと佇む。大分のC58のデフレクタは各車各様、バラエティ豊かであった。 大分運転所 S47(1972)/2/11

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 和歌山から来たC58224〔大〕は煙室扉ハンドルやシンダエプロンはもともとの大分ナンバーの罐とは形状が異なる。巨大な給炭槽の前でゆうゆうと煙を噴きあげていた。 大分運転所 S47(1972)/2/

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 キハ55176〔分オイ〕は昭和35年2月落成で168・169・170・171・177・178とともに7輌が大分に新製配置された。大分持ちのキハ55系は昭和41年でキハ55ー9、キハ26-1、キロ25-8で準急“西九州”、“ひまわり”、“火の山”、“九重”に運用された。 大分運転所 S47(1972)/2/11

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 キハ45系はキハ20系の後継車として昭和41年から44年にかけて誕生した近郊形気動車である。大分へは昭和44年3月、片運転台簡易郵便荷物車のキハ45601・602と両運転台2台機関のキハ538・9の4輌が久大本線用として新製配置された。 キハ539〔分オイ〕 大分運転所 S47(1972)/2/11

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 昭和43年3月現在の配置表を見ると九州管内では大量のキハ17が走っていたのがわかる。直方ー9、竹下ー5、佐賀ー17、東唐津ー2、長崎ー17、大分ー1、人吉ー8、鹿児島ー1、吉松ー3、都城ー7、志布志ー3の総勢73輌が配置されていた。この時の大分はキハ1766であったが、キハ1747が43年11月に高崎第一機関区より転属し66と交代している。 キハ1747〔分オイ〕 大分運転所 S47(1972)/2/11

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 久大本線無煙化D60を駆逐した新製DE10は第一陣が昭和45年4月から6月にかけて9輌(1015~1023)、第二陣は残った3輌のD60置換えに昭和46年10月に3輌(1131~1133)の計12輌が揃っていた。この後入換と豊肥本線、一部日豊本線佐伯までの旅客無煙化に4輌(1172~1175)が配備されることになる。 DE101016〔大〕 大分運転所 S47(1972)/2/11

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 ホイストが飛び出した扇形庫横の機留線にDF50555〔大〕が待機する。D51やC57の蒸機基地に出入りするDF50は亜幹線の主役として板についていた。貫通扉のヘッドマーク取付金具は特急牽引機の証しであり、黒光りするスノープラウが精悍な面構えを作っていた。 大分運転所 S47(1972)/2/11

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 DL検修庫の前で待機するDF50553〔大〕は朱色の車体に黒のHゴム、グレイの下回りに黒のスノープラウ、ステップとホースのコックに白が差されとても格好良く見える。 大分運転所 S47(1972)/2/11

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 C58105〔大〕は機関車用石炭を積んだセラを貯炭場横の側線に押し込むところ。 大分運転所 S47(1972)/2/11

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 D519〔延〕は593レの先頭に付くべく下り方の通路線を通って引上線へ向かう。後方の貨物群線は貨車で埋まり、照明塔も備わって出発線もあり、中継基地の雰囲気が漂う。 大分 S47(1972)/2/11