転轍器

古き良き時代の鉄道情景

昭和通り交差点から 大分交通別大線

 昭和47年4月4日、72年間走り続けた別大電車が最後の日を迎えた。新幹線が岡山まで開通して半月、豊肥本線のC58旅客がDE10にバトンを渡して半月の時であった。私にとって別大電車はいわばバス的な存在で、興味の対象はやがて消えゆく蒸気機関車が最優先であった。廃止になるなど考えたこともない町の交通機関なので蒸機がなくなってからいつでも撮れるという思いがあった。予想だにしなかったがモータリゼーションの進展で別大電車が廃止されるというニュースを聞き、改めて大分交通別大線の存在を意識する。しかも日豊・豊肥本線蒸気機関車よりも先に姿を消すというのは大きなショックであった。

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 昭和通り交差点の歩道橋から大分駅方向を眺める。中心街の賑わいが伝わり、軌道の敷石がきれいな模様となって続いている。竹町通電停を出た505と203が信号待ちで眼下で停車した。一見重連のように見えるが505はワンマンカーなので単独運転しかできない。500形7輌のうち501と502以外の5輌がワンマンカーに改造されている。 大分交通別大線竹町通~官公街勧銀前 S47(1972)/4/4

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 1000形は昭和37年製の3台車式の連接車でナンバー1001ABの1編成のみの存在である。1100形は1000形の発展形で車体長は1000形がベンチレーター1個分短いことがわかる。主に大分市内往復の運用に就いていた。 大分交通別大線竹町通~官公街勧銀前S47(1972)/4/4

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 スマートな連接電車はラッシュ時に活躍する。方向幕は「大分市内」を掲げ、海岸コースの手前、大きな鳥居が建つ「かんたん」で折り返す。パンタグラフで賑やかなA車の屋根上とは対照的にB車は両サイド等間隔に並ぶベンチレーターだけですっきりしている。忙しく行き交う黄色と緑の大分交通、青と白の大分バス、三菱コルト等乗用車のスタイルや警戒色の道路信号機など忘れてしまった光景が蘇ってくる。 1102 大分交通別大線竹町通~官公街勧銀前 S47(1972)/4/4

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 行先表示は「大分ー新川」を掲げ新川車庫へ帰る200形203号が昭和通りを行く。200形は昭和24年製、総括制御で連結運転ができ201~204の4輌が在籍する。 大分交通別大線竹町通~官公街勧銀前 S47(1972)/4/4