転轍器

古き良き時代の鉄道情景

阿蘇外輪山の東口

 阿蘇外輪山の西側は白川が突き破ったわずかな切れ目を線路は這い上がって立野に着く。3段スイッチバックで火口原へと出た線路は阿蘇五岳を右に見ながら外輪山東の麓、宮地に至る。急峻な山を越えるため大きく迂回しながら登り、切り立った溶岩の壁をトンネルで抜けて九州で一番標高の高い波野へと達する。

 三角発別府行“火の山5号”3輛編成がエンジン音を唸らせて外輪山越えに挑む。曲線と連続するトンネルの最後、坂の上トンネルに入る手前の一瞬、阿蘇火口原が見える。 705D 豊肥本線宮地~波野 S61(1986)/6/24

 坂の上トンネル手前、一瞬火口原が見える位置は難所、滝室坂の峠道から見ることができる。

 “火の山5号”と波野で交換した架線・信号検測車キヤ191系が山から下りて来た。

 キヤ190-1+キヤ191-1〔広コリ〕のユニットは急坂を転がるように進む。 試9734D 豊肥本線宮地~波野 S61(1986)/6/24

 撮影した跨線橋のコンクリートの欄干に埋め込まれた橋名板は「国鉄豊肥本線」と記されていた。国鉄時代終焉の良い記念となった。