転轍器

古き良き時代の鉄道情景

外輪山越え

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 昭和62年3月31日をもって日本国有鉄道はその名称が消滅した。国鉄時代に撮っておきたかった場所が いくつも残っているが、ここもそのひとつ。宮地から波野の外輪山越えは右に左にとカーブで高度を稼ぎ、約2.2kmの坂ノ上トンネルを抜けてサミットをめざす。国道の難所、滝室坂から美林ごしにわずかに見えるカーブが撮影ポイントであった。かつての趣味誌に載ったこのカーブを行く9600の貨物列車が脳裏に焼きついている。紫煙をあげて坂を上る列車は熊本発別府行急行“火の山3号”でこの時編成はさびしいかな3輌になっていた。 豊肥本線宮地~波野 S62(1987)/9/16

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 阿蘇谷へ下りる急峻な鉄路をわずかに垣間見ることのできる位置が滝室坂の途中にあった。下り25‰の坂ノ上トンネルを出て2本の滝室橋梁を渡り、願成就トンネルに入るほんの一瞬ではあるが。ゆっくりと坂を下るはJRマークの入った3輌編成の別府発熊本行急行“火の山4号”であった。ネガカラーの退色とカビに悩まされた2葉である。 豊肥本線宮地~波野 S62(1987)/9/16

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 熊本行上り列車は標高754.9mの波野を出ると緒方から続いた連続上り勾配はサミットを迎え、一気に下り勾配となって坂ノ上トンネルに突入する。長い闇が轟音とともに続きトンネルを出たとたんに阿蘇火口原が視界に飛び込んできた。この雄大な景色はほんの一瞬でまたトンネルの闇にかき消されてしまう。手ブレの阿蘇カルデラの印象が残っていた。 728D車窓 豊肥本線宮地~波野 S47(1972)/3/29