転轍器

古き良き時代の鉄道情景

碇山のふもと 滝尾周辺

 豊肥本線滝尾は大分平野に広がる田園地帯の中、標高の低い碇山のふもとにある大分からひとつめの小さな駅であった。のどかな田舎の景色に朝夕はC58の牽く通勤通学列車が、日中はC58と9600が牽く貨物列車が のんびりと走っていた。

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 碇山午前7時09分の構図。海に浮かぶ碇島であったその昔、神武天皇が東征の折、碇を降ろして立寄ったと伝えられる碇山のふもとに滝尾駅はある。下り朝一番を牽くC58112〔大〕は米良川の土手にかかる17.7‰上り勾配に猛然と突き進む。 721レ 豊肥本線滝尾~下郡(信) S44(1969)/10/12

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 碇山踏切から夕刻の滝尾駅交換風景を見る。C58115〔大〕はヘッドライトを光らせて迫って来る。磨き出しの手摺りは大分国体お召し機のなごりであろうか。上り豊後竹田行748レは17:58発。テールライトの光る下りの豊後竹田発大分行745Dは17:59発。 豊肥本線中判田~滝尾 S44(1969)/10/5

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 熊本起点142.5㌔ポストを69699〔熊〕の牽く上り貨物列車が行く。 794レ 豊肥本線中判田~滝尾 S46(1971)/3 

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 稲株が残る稲刈り後の田んぼが続く傍らを長い貨物列車が煙を残して小さくなっていく。忘れかけたのどかな田舎風景が思い出される。

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 通信線電柱「はえたたき」と藁小積みが展開するのどかな田園風景を行く貨物列車はやはり黒い編成が似あう。有がい車ばかり11輌の編成で1輌だけとび色のワム80000が入っている。列車後方に4燈の遠方信号機が見える。 794レ 豊肥本線中判田~滝尾 S46(1971)/3

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 機関車は遠目で見ていつもの罐とちがうのではないかと思っていた。後でわかったことは短い煙突と点検窓が開けられていないデフを持つ機関車は関東は高崎第一から来た69680〔熊〕であった。 794レ 豊肥本線中判田~滝尾 S46(1971)/3

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 C58224〔大〕の牽く下り貨物列車が滝尾を発車する。 793レ 豊肥本線滝尾 S44(1969)/8

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 C58の貨物運用は豊後竹田と三重町の2往復が設定されていた。豊後竹田往復は早朝大分を出て豊後竹田わずか1時間半の間合いで折り返し滝尾へは14時頃に姿を見せていた。貨物側線脇に保線機械が置かれている。 793レ 豊肥本線滝尾 S45(1970)/5

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 上り豊後竹田行を森の外れで待つ。期待通りC58は煙を噴きあげ勾配に沿って6輌の客車を上下させながら小高い丘を登って来た。当時はえたたきと藁小積みは当り前の風景であった。 746レ 豊肥本線中判田~滝尾 S45(1970)/3

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 C58224〔大〕が滝尾起点方の分岐器を踏みしめて行く。線路際に建つ青・白・橙色の組合せが印象的な転轍器標識が懐かしい。 746レ 豊肥本線滝尾 S45(1970)/9

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 朝つゆの光る滝尾駅周辺、下り一番は朝もやでかすむ霊山をバックにC58124〔大〕が6輌の客車を従えて姿を現した。豊肥下り一番は豊後竹田5:30発、中判田6:56発、滝尾7:09発、大分7:18着のダイヤであった。中判田~滝尾間は駅間距離6.6㎞、高江辺りに短い23‰の坂越えがある。滝尾駅手前は16.7‰の下りからレベルに変わる位置に勾配標が建っている。 721レ 豊肥本中判田~線滝尾 S45(1970)/9/12

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 シールドビームと「ダンボの耳」と呼ばれた大形変形デフ装備の異端車であったC58124〔大〕は昭和42年10月高松機関区からの転属機である。 721レ 豊肥本線滝尾 S45(1970)/9/12

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 豊肥本線気動車編成は2台エンジン車で組まれることが多く、この豊後竹田行738Dもキハ55+キハ53+キハ55+キハ52の強力編成であった。 豊肥本線滝尾~下郡(信) S45(1970)/9