■小倉駅前 昭和47年8月
小倉の街は幾度となく来ているのに西鉄電車は写真に残せていない。当時の北九州市は西日本で唯一の100万人都市で、大都会の印象を抱いていた。小川秀三さんが撮影された小倉駅前の情景はとても懐かしく、往時の都会風景を彷彿とさせる。
「砂津」行を掲げた1001形連接車が小倉駅前から米町(撮影時の電停名は大坂町であったかもしれない)に向けて進む。電車通りの国道199号線は一方通行に設定されていた。自動車免許を取得したばかりの頃は小倉の街から門司方面をへ通り抜けるのに路面電車と至近距離で通行し、とても怖い思いをした思い出がある。 1017AB
官公街を行く1001形連接車1019AB。進入禁止の道路標識がこの大通りが一方通行であることを示している。賑やかな電車通りから一歩入ると裏通りは歓楽街があふれているのが小倉の街の特ちょうであった。
魚町から門司行642、砂津行647が続行で平和通り交差点に姿を現す。小倉駅前付近の電停名は、かつての資料を見ると砂津―大坂町―平和通小倉駅前―魚町と呼ばれていたようだが、町名表示の変更に伴って大坂町は米町に変更されている。小倉駅前は以前は平和通小倉駅前だったようだ。魚町は線路幅の異なる北方線が連絡する電停で、北九州の台所と称される旦過市場への入口、旦過橋へとつながる。
■門司駅前 昭和44年7月
昭和11年製造の101形は扉間11個窓の車体にリベットが並ぶクラシックな感じ。「門司」行を掲げた105号は前照灯と標識灯、それに独特な排障器が重厚な面持ちを備えている。
写真は全て:小川秀三さん