転轍器

古き良き時代の鉄道情景

さようなら別大電車

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 別大電車の最終日、昭和47年4月4日付の大分合同新聞朝刊見開き2ページの茶色く色あせた切り抜きを大切にしまっていた。明治40年代の単車と当時の車掌さん、現在の1100形連接車と新川車庫前での運転士、車掌さんたちの集合写真があしらわれていた。桜満開であったこの日、桜の花びらとともに別大電車は散ってしまった。

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 同じく4月24日付の新聞は新川車庫に集められた電車たちの写真に目がいきスクラップしていた。記事は軌道撤去工事による約20万個の軌道の敷石、約1600トンと見込まれるレール、32輌の電車の処分がどうなるか綴られていた。敷石は防災工事や神社の階段、家庭の庭の踏み石等に、電車は地域の保存展示と岡山県岡山電気軌道への売却の旨が報じられていた。
 「鉄道ファンNo.142(昭和48年2月号)」でわかったことは、岡山電気軌道はワンマン化が完了し車輌近代化を終えていたが絶対量不足で大分交通から500形505・507を購入しワンカンカー3500形として改造された、とのことであった。
 大分交通505→岡山電気3501
 大分交通507→岡山電気3502

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 春の廃止後初めて新川車庫をのぞいてみた。すでに線路は剥されて廃墟になっていたのに愕然とした。車輌で埋まり活況を呈していた風景を記録できなかったのは残念でならない。502は別府市へ、501と506は大分市へ寄贈された。502は亀川浜田公園、501は西大分公園、506は若草公園(後に佐野植物公園)に保存展示された。 新川車庫 S47(1972)/12/30

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 撮影時の昭和47年暮れは505と507の姿はなくすでに岡山電気に旅立った後であったと思われる。車体は岡山まで海路か陸路か、どのようにして運ばれたのであろうか。大分市の紙が張られた506はC5553が展示された若草公園で余生を送ることとなる。 新川車庫 S47(1972)/12/30

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 503は新川車庫跡地にレールと乗降ステップを付けられて展示の準備が整っていた。

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 縁あった蒸気機関車C58や8620、D60の最後を見てきたように別大電車の最後の姿を見届けた。見たくはない光景ではあるが私が撮った大分交通別大線最後の写真となった。さようなら別大電車。そして感動をありがとう。 S47(1972)/12/30