転轍器

古き良き時代の鉄道情景

2棟の扇形庫 大分運転所

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 転車台から美しく放射状に広がる線路が俯瞰できるこの位置は電気機関車検修庫の外階段である。電気機関車検修庫が建つ位置は大正元年竣工のコンクリート製扇形庫が鎮座していた。大分電化の際に取り壊されて残念ながら転車台をはさんで2棟の扇形庫が建つ光景を見ることはできなかった。電化前の大分運転所を捉えた写真は鉄道書籍やウエブページでかなり見かけたが初代の扇形庫が写っているのは皆無であった。 D51567〔延〕 大分運転所 S47(1972)/2/20

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 九州各地の鉄道名場面が収められた「九州鉄道の記憶Ⅳ蒸気機関車の雄姿」(加地一雄編/西日本新聞社/平成17年7月刊)を購入し、大分運転所のページをめくると大分国体で美濃大田から助っ人に来たC58185の背景に何と初代の扇形庫が写っていて驚嘆した。扇形庫現役時代の貴重な写真で唯一無二と思っている。加地一雄さんに写真と連動図表の転載許可をいただいた。 九州鉄道の記憶Ⅳ 164ページ

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 扇形庫2棟時代の図面は蒸機全盛時代の息吹を感じる。ディーゼル機関車が投入される前はDL検修庫辺りに第2転車台も存在していた。北側の初代扇形庫は1~13、南側2代目扇形庫は14~24で番線が振られている。残った南側扇形庫は14番から24番までの11線収容で、23番と24番は奥行が深く機関車2台が収まる長さがあり、ホイスト等重機の備わった、まさに機関車工場であった。昭和40年代の撮影時は扇形庫に14~24番が標記され、転車台反対側のカットされた線路の枕木には扇形庫番線に呼応する同じ番号が記されていた(次の写真参照)。 九州鉄道の記憶Ⅳ 164ページ

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 扇形庫20番線はC58224が入っているのが見える。転車台は回っているがもし20番線で止めようとすると手前線路に標記された20番で停止することになる。扇形庫番線と転車台停止位置の番号が呼応しているのがわかる。 大分運転所 S47(1972)/2/20

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 転車台に載るキハ58の後方に初代扇形庫跡地に建てられた電気機関車検修庫と機留線が見える。上の写真の反対側から見たところ。加地さん撮影の写真はこの位置からと思われる。 キハ58244〔分オイ〕 大分運転所 S44(1969)/5

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 上の写真から少し右に振ると検修庫の全景が見える。初代扇形庫のあった敷地の広さがわかる。 58689〔大〕 大分運転所 S44(1969)/9/30

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 給炭線側から見る。画面左側が初代扇形庫のあった位置。転車台から延びる機留線はD60やC58が待機し、救援車や配給車、入換動車が置かれてのどかな機関区風景が展開している。 大分運転所 S44(1969)/6

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 電気機関車検修庫の本線側。線路は左から順に運転所通路線、DE10+D60が行く久大本線豊肥本線日豊本線、下り引上線となる(連動図参照)。初代扇形庫は久大本線のカーブに沿うように外側に膨らむ弧を描き、客車の窓から手を伸ばせば届きそうなくらい線路と扇形庫背面が近かったような、昭和30年代に通った時の印象が残っている。 1635レ 大分 S45(1970)/9