転轍器

古き良き時代の鉄道情景

津久見越え

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 臼杵湾津久見湾の間につき出した長目半島を横断するのが津久見越えである。鉄道建設時は『地勢嶮峻、山腹絶壁を開き懸崖を渉り』と、これ以上の表現がないような難工事区間であったと「九州の鉄道100年(産業図書)」に記されている。道路は臼津峠(旧道は十国峠)の名称があるが鉄道線にその名前はなく通称“津久見越え”と呼ばれている。9.7kmの駅間に徳浦信号場を置き、トンネルは8箇所、1,601mの徳浦トンネルをサミットに15.2‰の勾配は難所である。電化前DF50が喘ぎながら山越えする光景が印象に残っている。

 臼杵津久見間の乗車記で記憶に残る文言や表現がいくつか浮かんでくる。

 『造船所の間から臼杵湾を見ながら出発するが、やがて海も消えまた山間に入り、今度は石灰岩の採掘で白くなった岩肌の山が見えてくる。みかん畑の濃緑とこの白い岩肌のやや奇怪なコントラストに目を奪われていると津久見に着く』は「日本の鉄道11九州/鹿児島・日豊本線山と渓谷社)」の路線記から。

 『1200馬力のMAN機関がうなりをあげる』、『幸崎で架線と別れ、大分~佐伯間は無停車で走る。このDF50に与えられた速度は特ツF6』、『長いトンネルが連続し、煤煙の浸み込んだ古風なレンガ造りがその歴史を物語る』、『エンジンの苦しげなうなりが山間にこだまする。速度が落ちていく』、『大分~宮崎間のDF50単機牽引の定数は換算27車、“彗星”8両の換算は26.0車。悪条件の鉄路に“彗星”は行き悩む』は「鉄道ジャーナルNo.23」所収、列車追跡シリーズ「青い旅情」の乗車ルポ。手に汗握る機関車内の奮闘は鉄道少年にはたまらない文章で、列車運行と鉄道マンの格好良さを感じたものだ。

 『トンネルを出ると臼杵湾が見えてくる』、『トンネル一つで沿線の雰囲気は一変した。伊豆半島に来たようだ』、『臼杵から延岡まではリアス式海岸がつづく。ギザギザの海岸線を列車は入江に沿い、トンネルを抜けながら行く』、『海と島の眺めはきれいだ』は宮脇俊三著「最長片道切符の旅(新潮社)」。乗車率25%程度の電車急行“日南3号”宮崎行に乗って。

 「日本鉄道名所勾配・曲線の旅8/鹿児島線長崎線日豊線小学館)」から。『臼杵からは半島のつけ根を越えて津久見湾の側に出なければならない。下り松、第一、第二板知屋、大泊、そして徳浦とトンネル五つをくぐり、徳浦信号場。第一、第二鳥越トンネルと石灰石採取場の西を迂回して、第一津久見トンネルをくぐると津久見駅に着く』。

 写真は大泊トンネルから顔を出したRED EXPRESS“にちりん”。DF50の時代からすると樹木の生い茂りで様相は一変している。大泊トンネルを出て次の徳浦トンネルへ入るまでの一瞬、美しい海とおにぎりの形をした津久見島が見えるはずである。列車で体験する山越えの様子や車窓からの景色は、旅人それぞれの視点と感性で十人十色であろう。

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 津久見越えは海と山の織りなす景趣がすばらしい、と私は思う。

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