転轍器

古き良き時代の鉄道情景

南熊本

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 所用で熊本に立ち寄った際、目的地の熊本南地区へ向かう途中に南熊本の駅舎が目に入り、同行者の了承を得て急いでスナップしたのがこの1枚。蒸機時代に通った水前寺・南熊本の駅は貨物側線の多い大きな駅の印象が残っている。本屋入口にりっぱな銅板で駅の説明が掲げられていた。北の上熊本駅と同様威厳のある駅舎は市電と熊延鉄道が乗り入れる交通の要衝であったことを物語っているようだ。 豊肥本線南熊本H6(1994)/10

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 熊本市南部の玄関口である南熊本駅は、大正3(1914)年6月に豊肥線(熊本ー大津)の開通により開設された。当時はその地名をとって春竹駅と呼ばれていたが、昭和15(1940)年に南熊本と改称された。
 大正4(1940)年、春竹駅(南熊本駅)を起点として御船鉄道が開通、その後昭和2(1927)年に御船鉄道は熊本・延岡(宮崎県)間の全線開通を目標として熊延鉄道と改称した。同4年には市電の南熊本線が辛島町から春竹駅前(南熊本駅前)まで開通した。しかし、同39年に熊延鉄道が、同45年に市電の南熊本線が廃止になった。
 駅周辺には、木材や植木などの業者が多く、駅南側の田迎地区は、戦前から花きの産地として知られ、今も1年を通してバラやカーネーションなど絶えることがない。駅西側を通っている旧日向街道は、国道445号線浜線バイパスが開通するまでは熊本ー御船ー矢部を結ぶための重要なルートであった。 (南熊本駅説明板から)

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 時は昭和30年代、熊本付近の鉄道・軌道線の概略図を描いてみた。市街地に張りめぐらされた市電は鹿児島本線上熊本・熊本・川尻で、豊肥本線南熊本・水前寺で、熊本電鉄上熊本藤崎宮前でそれぞれ接続していた。熊本電鉄は当時の車庫は旧線の室園にあり、黒髪町の手前で引込線が分岐していた。また上熊本からは市電の1435㎜軌道に一部1067㎜軌間の3線軌条があって熊本倉庫線に国鉄の貨車が出入りしていた事を「熊本市電が走る街 今昔」(中村弘之著/JTBパブリッシング/平成17年6月刊)で知る。熊延鉄道は昭和30年代の時刻表を見ると南熊本~砥用間28.6㎞の路線で、朝夕は豊肥本線水前寺まで乗入れる列車が設定され、島原鉄道や南薩鉄道と同様国鉄線上を社線気動車が走っていた。鹿児島本線はC57・C59・C60・C61・D51が走り、豊肥本線はC58・9600が走っていたであろう。あの時代の鉄道情景に思いを馳せる。