転轍器

古き良き時代の鉄道情景

上熊本駅前スケッチ

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 上熊本は九州鉄道の時代、明治24年の開業で長い歴史を持つ。当初は池田停車場と呼ばれ後に上熊本に改称され、夏目漱石ゆかりの駅でもある。大正ロマン漂う風格に満ちた駅舎は熊本の北の玄関口として重要な地位を物語っている。松本清張の映画「霧の旗」は主人公が上京するのに上熊本駅から上り列車に乗り、車窓から見えるC59や途中駅の列車シーンが脳裏に焼きついている。昭和36年の時刻表をめくると本州向け長距離鈍行は岡山・大阪・京都行が載っていた。 鹿児島本線上熊本 S61(1986)/1/18

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 熊本の市内電車は九州の県庁所在地では大分・福岡・鹿児島・長崎に次いで5番目の開業であった。国鉄上熊本に接続するのは上熊本線(辛島町~上熊本駅前)と昭和45年に廃止された坪井線(藤崎宮前上熊本駅前)があった。前照灯点灯の3系統を掲げる1080形1082が上熊本駅前終点に入って来る。熊本競輪の案内塔やマルハのロゴが時代を感じさせられる。 熊本市交通局上熊本駅前  S61(1986)/1/18

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 道路を挟んだ駅南側に目を向けると日通のデポ、小野田セメントのサイロ、貨物ヤードが見える。Zパンタの電車は3系統「健軍町」行。右の建物はホットケーキでお馴染みの熊本製粉の工場で、この時まだ製品輸送はワムで行われていたのかもしれない。 S61(1986)/1/18

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 ED7660〔鹿〕の牽く荷物列車と出会う。ED7660は昭和49年4月の南宮崎電化の際、ED7655~ED7680まで大分に新製配備された26輌の内の1輌で、その後鹿児島へ転属したものと思われる。郵便・荷物車は汐留から東小倉を過ぎた頃には身軽な5輌編成であった。 31レ 鹿児島本線上熊本 S55(1980)/8/17

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 貨物輸送賑やかりし頃の上熊本構内を遠望する。駅両サイドのヤードは大量の貨車が溢れ、小運転のDE10が発車を待っている。クリーム色のホキ2200は熊本製粉の原料輸送に活躍しているものと思われる。「専用線一覧表昭和42年版」(トワイライトゾーンMANUAL5/ネコ・パブリッシング/平成8年11月刊)によると上熊本専用線日本専売公社・熊本製粉・シェル石油・モービル石油が掲載されていた。 鹿児島本線上熊本S55(1980)/8/17

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 国鉄上熊本駅前でひっそりと佇む熊本電鉄上熊本駅上熊本北熊本開通以前の鉄道華やかな時代は上熊本から藤崎宮前まで複線が敷かれていた。後に熊本市交通局がこの線路を1435mmに改軌して坪井線とした複雑な歴史があることを知る。 熊本電気鉄道上熊本 S55(1980)/8/17

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 九州の中心に位置する商都、熊本はその歴史を垣間見るような独特な地名があるのに興味を魅かれる。洗馬橋・祇園橋・神水橋・田崎橋など“橋”の付く電停を始めとして、河原町・味噌天神・呉服町・通町筋・水道町など商業を連想させる地名、歴史の重みが伝わる蔚山町(うるさんまち)・段山町(だにやままち)などその由来を知りたくなる名前が連なっている。上熊本駅前を出て健軍町へ向かう1200形1208は次々と興味ある電停を通りすぎる。昔懐かしい日通やコクヨのロゴ、モップや清酒の広告看板が写っている。 上熊本前~本妙寺前 S55(1980)/8/17