歌い出し“♪今は山中今は浜~”の「汽車」や「汽車ぽっぽ」、「線路は続くよどこまでも」の童謡は軽快なリズムで列車の走行シーンが浮かぶ楽しい歌だ。同じ童謡「りんごのひとりごと」は少し切ない曲調に感じられなくもないが、汽車好きとしては“♪箱に詰められ汽車ぽっぽ~”は東北本線だろうか、常磐線を通ったのだろうか、“♪町の市場へ着きました~”は隅田川の駅だろうか、秋葉原の駅だったのだろうか、などと思いを巡らせたものだ。2番は“♪果物店のおじさんに~”で始まるのだが、そのおじさんに先日青果市場で会ったものだからつい「りんごのひとりごと」を思い出してしまった。
そのおじさんは傘寿目前の翁で、青果物を扱う卸売業を長年営み、今は規模を縮小して青果市場に姿を見せている。若き日の商売繁盛の自慢話をうんうんと聞き流していた私が俄然耳を傾けたのは次のくだりであった。「昔は駅に出向いて貨車からりんご箱を降ろしていた」、「木箱に入った青森りんごはとても重たくてそれは重労働だった」、「4輛くらいの貨車の内1車は自分のオーダー分」と聞いて昭和30年代の貨物輸送の情景が垣間見えたような気がした。北の国から遥か南国へ運ばれるりんごは長方形の木箱に接触を避けるため籾殻といっしょに詰められていた。“スターキング”や“国光りんご”といった懐かしい名前が思い出される。
りんごはツやツムで運ばれていたのではないか。駅の側線でよく見かけた通風車は全国運用されていたと思われる。ツ2500は荷重10トン、りんごが詰まった木箱は約25Kgとして1車に400箱積まれていたかもしれない。昔のりんご箱は机や椅子、道具入れ等に再利用できて昭和40年代生まれまでの人なら見かけたことはあるのではないだろうか。
「鉄道ファン」503号から510号に連載された『入換機関車の運転台から(向坂唯雄著)』は田端・秋葉原・汐留付近の鉄道模様が詳細に綴られている。地域の特産品を運ぶ「季節臨」という列車は、和歌山からのみかん列車・鳥取からの梨列車・灘からは日本酒を積んだ貨車が汐留に入って来た。また鹿児島から何日もかかって品川に辿り着いた家畜車や豚積車は入換機関車B6によって家畜市場線へ押込まれる。これらの記述は貨物輸送のあり様がとてもよくわかり、全国で同様な景色が展開されていたと想像する。
国土地理院地図・空中写真閲覧サービス MKU612-C5-14 昭和36(1961)年4月 大分から
昭和36年大分駅の様子。駅北側に貨物ヤード、南側に大分運転所の車輛基地と2棟の扇形庫が見える。構内中ほどから弓形に弧を描く引込線は日本専売公社の専用線と思われる。留置車輛と貨車群で活気に満ちていることがうかがえる。青果商翁に大分駅でりんごを取り降ろしたのはどちら側かたずねたところ、たぶん南側だったとの返答。専用線に車扱いの貨車が入れたのか真偽のほどは別として鉄道貨物輸送全盛期の話を聞けたことはとても有意義で、鉄道現場での体験を持った方と出会えたことも幸運であった。現在の市場への輸送形態はトラック輸送が主流で、かろうじて北海道産玉葱や馬鈴薯等の農産物は鉄道コンテナで運ばれている。以前コンテナに差し込まれていた車票はコンピュータ処理の伝票に取って代わっている。それでも一部の伝票書式を見ると以前の名残りがあるのか、発駅(港)・着駅(港)・貨車番号・船名記載の欄が残っていた。古き良き時代を懐かしむ者として童謡「りんごのひとりごと」は昭和30年代の汽車模様へ誘ってくれた。
平成10年代、イベント使用の荷物が記載の番号のコンテナに詰められて札幌貨物ターミナルから長躯西大分に到着した。中継は以前なら吹田で行われていたのではないかと想像する。安治川口ということで梅田貨物線を通り桜島線へと入るのは意外であった。
同じ日の荷物であったと思われる。コンピュータ帳票の今、何と味のある車票であろうか。