転轍器

古き良き時代の鉄道情景

ED16の思い出

 昭和49年春、上京して初めて降り立った駅は華やかな山手線目黒駅であった。そこから緑色一色の3輛編成の電車に乗り、今来た山手線の線路を見下ろしながら急勾配を下り大岡山という駅で下車する。今度は同じ緑色ではあるが少し長い編成に乗り、大きな川を渡り溝の口という駅で降りる。そこは畑の広がる、賑やかな都心とは裏腹の風景であった。近くに複線の国鉄線が通り、その線は南武線ということを知る。太平洋ベルト地帯を行き来する華やかな機関車群は良く知っていたが、そこで初めて見た機関車はED16という形式であることを後で知る。畑の向こうを行くタンカー編成はこれまでに見たことのない桁数の多い数字がレタリングされた米軍のタンク車で、その異様な光景に圧倒された。その時ED16がホッパーを牽いていたらED16のとりこになっていたかもしれない。ED16の第一印象が米軍タンターだったのでその後撮りに行くこともなく、残念ながら疎遠の機関車となってしまった。

 ED16の事を調べてわかったことは、昭和6年上越・中央線の電化で誕生した勾配線用機関車であること。その後EF級機関車が登場し、18輛全機が立川機関区に集まり、南武線青梅線五日市線で運用されることになった。ED16と初めて会った日から月日は過ぎ、廃車の噂を聞いて重い腰を上げた次第。線路は正面から大きく右カーブして眼前を通るので、そこを狙うつもりでまず遠景の真横で1枚とシャッターを押したらフィルム終了という悔やまれる結果となってしまった。 青梅線御嶽〜川井 S52(1977)/12/2

 軍畑橋梁を行くED16のホキ編成。ED16の風景写真は撮れたが、この時気になっていたのが、時折編成の中に組まれているコンテナを積んだ長物車のようなチキ80000とホキ4200と思いきや重厚な蓋を被ったホキ34200の事だ。ED16の写真はこの2葉だけで、返す返すももっと真剣に撮っておけばよかったと回想しながら悔やんでいる。 青梅線二俣尾〜軍畑 S52(1977)/12/2