転轍器

古き良き時代の鉄道情景

湯平 その後

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 宮原線撮影の帰途に湯平駅に立寄ってみた。客車は50系に置換ったもののDE10牽引列車の本数は昭和53年10月時点と同本数で運転されていた。駅はかつての面影は消え失せ、すっかり変わり果てていた。信号機が自動化される前にはなかった中継信号機や出発反応標識が見える。大分発豊後森行は陽も落ちた17時51分、湯平を後にする。 644レ 久大本線湯平 S59(1984)/9/27

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 湯平駅を国道から俯瞰する。腕木式信号機はいつしか自動化され色灯式になり、安全側線は無くなっていた。相対式ホームは平面横断から跨線橋に、ホームの待合室もモダンな建物に変わっていた。時はかなり長く経過していたことを実感する。 636レ 久大本線湯平 S60(1985)/5

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 平成も30年が過ぎ、昭和44年からは何と49年もの歳月が経っていた。山の形は同様なれど樹木が茂って49年前とは趣きは異なって見える。上下線の線形、駅前道路の高さは変わっていない。画面左に昭和56年に開通した湯平大橋が見えている。この谷を跨ぐ橋の開通で湯平温泉は格段に近くなり、それまでは駅前の道をトンネル直前の踏切で線路を横切り、そこから深い谷を降りて川を渡り、再び谷を登る難所であった。
  久大本線湯平の歴史を振り返ると、大正の初め大分と湯平を結ぶ計画で私鉄、大湯鉄道が誕生、大正4年に小野屋まで開通する。以後大正11年に国有化され、線名は大湯線となって湯平は大正12年9月に開業している。
  平成27年は大湯鉄道が小野屋まで開通して100年目にあたり、「大湯鉄道物語」と銘打って開業100周年祭のイベントが地域の実行委員会によって開催された。その一環のフォーラムで、湯平温泉は鉄道の開通によって温泉保養地としてたいへんな賑わいをみせ、湯治客・旅館の数は一気に増え、駅と温泉場を結ぶ乗合自動車が多数往復したと聞いた。
  「昭和30年頃の大分県ー写真で見る懐かしい昭和の記憶ー」(アーカイブス出版/平成20年刊)に湯平駅を駅前の崖上から俯瞰した写真が掲載されている。上り線には4輛の客車を従えるC58が待機、貨物ホームには木材を積むクレーンが備えられている。駅前は2台の独特の形をしたボンネットバスが転回し、活気ある駅風景が捉えられていた。 久大本線湯平 H30(2018)/6/3