転轍器

古き良き時代の鉄道情景

豊の国号 C581

 日豊本線大分開業70周年と大分県観光キャンペーンの一環で梅小路からC581を呼び寄せて蒸機列車が運転された。運転区間日豊本線別府~豊肥本線三重町間で大分・犬飼が停車駅となった。昭和56年12月1日から4日まで訓練運転、6日から11日までの6日間、1日1往復、12系5連で営業運転が行われた。C581は区名札に「大」を入れ、県の鳥「めじろ」をデザインした“豊の国号”のヘッドマークを掲げて勇姿を披露した。 大分運転所 S56(1981)/12/6

 大分運転所の扇形庫からC58がいなくなって9年、束の間ではあるがC58が戻って来た。赤色の形式入大形プレートがよく似合っている。ヘッドマークステイはとても頑丈そうだ。 S56(1981)/11/29

 グリーンのめじろを大きく配した“豊の国号”ヘッドマーク

 大分から別府、三重町から別府まではバック運転が行われるのでテンダにもマークが用意された。

 テンダのマークはシール式であった。蒸気機関車の設備は既に無くなっているので、給炭・給水は扇形庫の前で行われていた。

 C581とは思いもよらない津和野で会って以来の再会である。黒光りする車体に魅了される。

キハ31

 国鉄分割民営化直前に登場した軽量ステンレス17mの軽快気動車はすっかり久大本線の顔となっていた。車内の2+1人掛けシートと運転室脇のワンマン運転対応機器はまるでバスを見るようであった。 久大本線湯平~庄内 H3(1991)/1

 1面2線の上下線と留置線3線の配線は国鉄時代と何も変わっていない。時はレールバスの時代へと変革していた。 豊肥本線豊後竹田 H8(1996)/5

 キハ28と並ぶと車体幅の違いが歴然。 大分 H4(1992)/8

 方向幕は常に「普通」の表示。行先を出してほしかった。 大分 H6(1994)/4

SLやまぐち号 C581

 二度目の“SLやまぐち号”は緑ナンバーのC581であった。黄色地に青いナベツルのヘッドマークは黒い車体によく映える。復路の準備は12系を牽き出してホームに据えるところ。後方の山腹に見える神社看板や駅ホームの日本五大稲荷の行灯は厳かな風情を漂わせている。 山口線津和野 S55(1980)/9/7

 小郡めざす復路の“SLやまぐち号”は、山陰の小京都と呼ばれた津和野を後に県境の白井トンネルめざして上り勾配にさしかかる。 9522レ 山口線船平山~津和野 S55(1980)/9/7

 津和野盆地へ降りて来る往路“SLやまぐち号” 9521レ 山口線船平山~津和野 S55(1980)/9/7

SLやまぐち号 C571

 思わぬところにアクセントがある「おいでませ山口へ」の独特な山口弁の語りが耳に残っている。山口線蒸機復活運転は梅小路蒸気機関車館のC571が走ることを知り4年ぶりに山口線を訪れた。集煙装置を装備し、赤色の形式入大形プレートを付けたC571は思った以上似合っていた。山口県の鳥「ナベツル」をデザインしたヘッドマークインパクトがあった。 9521レ“SLやまぐち号” 山口線仁保~篠目 S54(1979)/8/19

 奮闘するC571が12系客車5輛を牽いて坂を登る。大勢の人たちが見送り、乗客が手をふる一瞬の邂逅であった。 9521レ“SLやまぐち号” 山口線仁保~篠目 S54(1979)/8/19

オヤ3121

 建築限界測定車オヤ31は「国鉄客車・貨車ガイドブック(誠文堂新光社/昭和49年4月刊)」によると7輛あり、戦前製の客車を改造して札幌・仙台・新潟・東京・名古屋・大阪・門司に配備されていた。門鉄局のオヤ3121の前身は、CTS連合軍民間運輸局が作らせた密閉式展望室・会議室・調理室・寝台設備のある特別職用車とのこと。昭和29年に建築限界測定用腕木を付けられてこの姿になったようである。門司港に立ち寄った際、不思議な車輛を発見してスナップしておいたものである。端面の縦長3枚窓は展望車の顔を彷彿とさせる。 オヤ3121〔門モコ〕 門司港 S62(1987)/6