転轍器

古き良き時代の鉄道情景

59670

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 阿蘇ドライブの途中の山腹に機関車が置かれているのに気づく。近寄ってみると何とついこの間まで貨物列車を牽っぱっていた熊本機関区の59670であった。とりあえず記念撮影をしてそのままになっていたネガを発見、忘れ去っていた高原の機関車のことを思い出してみたい。 一の宮町 S51(1976)/9/3

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 右サイドはランボード一直線上に元空気溜が載っている。パイピングはすっきりとし継足しのある化粧煙突が特ちょうであった。キャブ側窓は大形で裾は点検の穴が開けられている。 大分運転所 S45(1970)/9

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 この位置から「ご苦労さん。休養を十分にとりましょう」の標語が書かれた構内建て標識が見える。入所する機関車はそれを横目で見ながら給炭線へ入って来る。59670〔熊〕は長旅の疲れを癒す間もなく給水、給炭の後次の仕業に備える。 大分運転所 S45(1970)/9

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 熊本機関区の機関車は前面に架線注意標識を複数枚付けているのをよく見かけたが、59670〔熊〕は左サイド一箇所だけであった。 大分運転所 S45(1970)/9

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 転車台上の59670〔熊〕。給炭を済ませて頭は豊肥本線上り向きに回す。テンダのプレートはゴシックの形式入が付いていた。 大分運転所 S44(1969)/6

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 長躯熊本からの貨物列車が大分構内に進入する。みどりナンバーの59670〔熊〕は長い編成を従えて目の前を通り過ぎる。金池踏切は多くの人や自動車が遮断機が上がるのを待っていた。 795レ 豊肥本線下郡(信)~大分 S45(1970)/9

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 夕方の下り貨物列車通過時刻は16時10分くらいで中学校の校庭から見送るのが日課となっていた。このスジは時々三重町からの貨物が「ウヤ」の時は9600の前に逆向きのC58が付いて逆C58+9600の変則重連となることがあった。いつかこの光景を撮りたいと願っていたがかなうことはなかった。59670〔熊〕は田んぼの中の小さな築堤を軽快な足取りで駆けて行った。 795レ 豊肥本線滝尾~下郡(信) S44(1969)/4/27

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 農地が広がる丘陵地帯を59670〔熊〕が喘ぎながら登って来る。大分行貨物列車は阿蘇外輪山を越えると九州最高地点の波野から一気に下り勾配となるが、三重町からは小高い丘を越えるのに短い上り坂がある。 795レ 豊肥本線三重町~菅尾 S46(1971)/6

熊本機関区で出会ったC11達


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 熊本機関区のC11は伝統的に数多く配置され、矢部線・三角線と熊本・川尻・八代・大牟田・荒尾の入換運用に広く使われていた。昭和30年代は熊本機関区に荒尾と八代に機関支区が設けられて数輛のC11が配置されていた。またそれ以前は矢部線黒木にも駐泊所があったらしい。熊本機関区を訪問した昭和47年3月はC11は13輌が配置されていた。そこで出会ったのは7輌で半数は広範な各地で運用についていたのであろう。 熊本機関区 S47(1972)/3/29

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 C1161〔熊〕 昭和36年4月の配置表では熊本機関区荒尾支区の配置となっていた。

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 C1186〔熊〕 見なれた九州形とは若干趣きが異なるシールドビームの機関車。昭和46年3月に津山から来た転属車であった。サイドタンクの振り止め梁は付いていない。

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 C11174〔熊〕 炭庫の形状が九州形とは異なる174は福知山からの転属車で、昭和46年4月に熊本入りしている。熊本機関区の転車台は上路式のヨーロピアンスタイルで印象的であった。

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 C11196〔熊〕 機関車ばかりの写真でわずかに煉瓦の矩形庫の様子が写っている。196は昭和45年夏に直方機関区の扇形庫で会っていた。この時は何の感慨もなく後になって再会ということがわかった。

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 C11257〔熊〕 松浦線で活躍した罐で、いわゆる門デフ装備の均整のとれたスタイルといえる。

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 C11260〔熊〕 昭和44年3月の配置表では佐々の配置で、257同様元松浦線の罐である。矩形庫前の建屋で主連棒をはずされた様子を撮っていた。

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 C11347〔熊〕 スタイルの良い347は日田彦山線でならした元門司機関区の罐。各地のDL化で余剰になったまだ検査期限のあるC11が熊本に集まりだした時であった。

ヨンヨントオ前夜

 汽車の写真を撮り始めて初の10月がやってきた。10月は国鉄ダイヤ改正の月、鉄道に対して何の情報もなかったあの時代、地元新聞の「蒸機また消えるー」の見出しに踊らされて昭和44年9月30日の放課後は一目散に蒸機基地へと自転車を走らせた。

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【写真①】手前から由布院行648レを牽くD6060〔大〕と由布院行646レを牽くD6071〔大〕。左後方、テンダのライトを照らすのは熊本から貨物を牽いて来た59653〔大〕。右奥に機関車搭載用の砂の乾燥小屋が見える。

 ヨンヨントオの前日、大分運転所の給炭線はいつものようにD60とC58が数珠つなぎになって出庫を待っていた【写真①②】。数コマのネガからこの日の様子を再現すると、給炭線転車台寄りから化粧煙突の美しいD6060〔大〕とD6071〔大〕が並び、その奥にC58112〔大〕が待機していた。給炭線のもう1線にはD519〔延〕が方向転換を済ませて待機【写真③】。給炭線となりの通路線には熊本から貨物を牽いて下って来た59653〔熊〕と構内入換小休止の58689〔大〕が頭を寄せあって待機【写真④】。59653〔熊〕はテンダのライトを、C58112は前照灯を点灯【写真⑤】。熊本からのキュウロクが入庫しているので時刻は17時ちょっと前といったところか…。この時刻以降の列車牽引機が今給炭線に並んでいる。 大分運転所 S44(1969)/9/30

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【写真②】写真➀から給炭槽の下に近づきD6071〔大〕を見る。2つのたよりない照明が夕刻の機関区風景の雰囲気を盛り上げてくれる。

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【写真③】給炭、給水完了したD519〔延〕が黒煙を上げる。電気機関車の牽く下り貨物列車が到着した頃牽引機交替でおもむろに出庫していくのであろう。

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【写真④】熊本から下って来た59653〔熊〕はこれから転車台へ向かうところか。前日までは到着後直ちに転向し豊後竹田行旅客を牽く運用であったが、ヨンヨントオ以降は豊後竹田往復から幸崎小運転へと変更された。手前は58689〔大〕。

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【写真⑤】C58112〔大〕は煙を噴き上げて今にも動きださんばかりである。日豊本線下り幸崎行1533レを牽くものと思われる。ガントリークレーン誘導レール脇に建つ電柱形のたよりない照明灯や水が滴るスポートは蒸気機関車のある風景には欠かせないアクセサリーである。

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 給炭線の賑わいを暗くなるまで見届ける。扇形庫ではこの日の出番のない罐たちが静かに息づいていた。 扇形庫背面からD6065〔大〕を撮る。後方、転車台の向こうは電気機関車が停まっているのが見える。電化前はその位置に初代の扇形庫が建っていた。ヨンヨントオで蒸気機関車が1輛も減らないことを願いつつ蒸機基地を後にした。 

キユニ191

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 益田構内は山口線山陰本線気動車列車が入線し、慌ただしい時を刻んでいた。これまで見たことのない切妻形スタイルの郵便荷物気動車に魅せられた。 キユニ191〔広コリ〕 山陰本線益田 S52(1977)/8/7

 

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 キユニ19誕生までの変遷を辿ってみると昭和28年に登場した電機式気動車キハ44200までさかのぼる。鹿児島本線門司港~久留米間に投入された快速列車はキハ44100+キハ44200+キハ44100の3輛編成5組で運用された。中間車のキハ44200はキハ19に称号変更され、昭和36年の配置表を見ると竹下気動車区にキハ191~195まで5輛が記載されていた。昭和39年4輛がキニ16へ改造、さらに翌年郵便室を設けてキユニ19となっている。電気式気動車から端を発する幾多の変遷は大分のキユニ16やキハユニ16の経歴とよく似ていると思う。キユニ191は昭和54年6月に廃車となった。

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 郵便荷物気動車に改造される前のキハ19をイメージしてみる。同じ中間車のキハ18は新製車であったがキハ19は電気式から液体式への改造車であった。北九州筑豊を縦横無尽に走り回る気動車列車に運転台のない客車のような気動車が中間に組まれた光景を想像する。

クモハ40061

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 クモハ40の顔はさまざまなタイプがあるらしいが、この青梅駅電留線で休むクモハ40061〔西トタ〕は丸妻半流の顔でシル・ヘッダーのリベットと深い屋根のカーブが重厚な面構えを醸し出している。 青梅線青梅 S52(1977)/12/2

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 左サイドは運転室扉横と運転室窓上にベンチレーターが付いている。パンタグラフ側の賑やかな配管が目を引き、前照灯や避雷器は大きく見える。前面扉横に屋根から伝わる線はパンタグラフ外し装置と思われる。 クモハ40061〔西トタ〕 青梅線青梅 S52(1977)/12/2